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帰れねぇ? そんなのおいら 認めねぇ! 

 ラドバウトに抱えられたまま食堂を出たハチ。  別棟にある応接室に入ると、すでに到着していたマルセルが、茶を啜りながら彼らを待っていた。 「お待たせして申し訳ない」 「いや、いいんじゃ。儂は急ぎの仕事もない、暇な身じゃからの」  フォッフォッフォッと笑い、ラドバウトらに着席を促す。  マルセルの隣にヘイスが、テーブルを挟んで向かい側にラドバウトとハチが座る。  両者の間にあるテーブルの上には、山のように本が積まれていた。これは全て、聖バームスロット王国に伝わる、異世界人に関する文献だ。 「さて、ハチ……でよいのか?」 「うん、おいらハチと申しやす」  六兵衛や長屋の爺婆連中にかわいがられて育ったハチは、老人というだけで態度が軟化し、相好が崩れてしまう。  そんなハチを見て、むむっと顔を顰めるラドバウト。  案外嫉妬深い魔神さまのようである。 「この老いぼれ爺に、ハチことをいろいろと教えてくれんかの」  そこでハチは住んでいた場所や生い立ちなどを、(つぶさ)に語って聞かせた。  マルセルは時に何度も質問をしながら、ハチの話を聞いていく。ラドバウトはそれを横で見守り、ヘイスは聞き出した情報をノートに書き記していた。 「ふむ。ではハチは昔から、その()とやらに取り憑かれやすくて、エドにいるときはそれをオハライというものをしてもらっていたのじゃな」 「そうでさぁ。前は寺で加持祈祷をしてもらってたんだけどさ、あれはいけねぇ。またすぐに()が寄ってきちまう。なのに一回の祈祷料が、べらぼうに高いときたもんだ。おいらがいくら必死に働いても、その金は全部寺に流れちまうだろ? だからいつも貧乏だったってわけでさぁ」 「けれどズイウンドーは違うと」 「そうなんでさ! 随運堂が一回祓えば、しばらく()には取り憑かれねぇ。しかも金は一銭もかからねぇときたもんだ。随運堂さまさまですぜ!」 「ふぅむ……ズイウンドーの祓い方が非常に気になるのう。儂の予想では恐らく、背中に貼ったフダとやらで、一時的に魔力の出口を作ったのじゃろう。背中を叩くことで、体内の魔力を一気に放出したとみた。いや、実に興味深い」  マルセルは一気に捲し立てた。  異世界人関連の文献には記されていなかった新たな解決法を知ることができて、よほど嬉しいのだろう。 「そんなに気になるんなら、おいらが随運堂を紹介しましょうかい?」  随運堂も珍しい物好きである。  もしかしたらマルセルと話が合うかも知れない。  ハチはそう思ったのだが、当のマルセルは困ったような、何か言いたいような、微妙な表情を浮かべた。 「それよりハチよ。お前さんの体に溜まっていたのは悪い()ではなく魔力じゃ」 「マリョク?」 「そう。人間の体内にはな、血と一緒に魔力が巡っておって……」  マルセルはハチに魔力について、わかりやすく説明をしてやった。  ハチはそれを真剣に聞いたが、やっぱりよくはわからない。魔力だの魔法だのと言われても、全くピンとこないのだ。  ただ一つだけわかったことがある。 「そのマリョクってのが溜まりすぎると、危険ってわけですかい?」 「そのとおり。体内の魔力が一定量を超えると、昨日のように発熱して、やがて死に至る」  これはなんとなく理解できた。  なぜならハチは、これまでに幾度も発熱を繰り返してきたからだ。 「そしてもう一つ」 「まだあるんで?」 「魔力を食らって力を蓄える種族に、狙われやすくなるのじゃ」  自己の体内で魔力を生成するのは、人間も魔族も同様である。  しかし魔族がほかの種族と決定的に異なるのは、他者の魔力を奪って自己のエネルギーに変えることができるという点だろう。  普段は鉱石などに含まれている僅かばかりの魔素を吸い出しているのだが、まれに魔力量が多かったり、純粋で質の良い魔力を持っている人間を襲うこともあるのだ。 「ハチの魔力量は膨大で、質の高さが感じられるでな。それを狙った魔族がお前さんに取り憑いて、魔力を奪おうとしていたのだろう」 「じゃああれは、お化けや物の怪じゃなかったってことですかい?」 「いや、恐らく同じ類のものじゃろう。それをハチの国ではオバケやモノノケと呼んでいるのかもしれん」 「ほえぇ……」  体調の悪さの原因が、そんなことだったとは。  初めて知る真実に、ハチは言葉も出ない。 「いや、実に興味深いぞ。ハチのことをいろいろ研究したら楽しそうじゃのう」  初めて見る異世界人、この世界の人間とは異なる体質。さらにはハチの口から語られる異世界の話に、マルセルはかなり興奮しきった様子だ。 「それではハチは定期的に魔力を出してやらないと、魔族に狙われる危険性があると言うことですか?」 「ラドバウト団長、そのとおりじゃ。ハチの魔力は恐ろしいほどに澄んでおる。ハチを一口でも食らえば、奴ら百年は寿命が延びるじゃろうて」 「いぃっ? おいら食われちまうのかい?」 「ハチはこれから充分気を付けねばならんぞ。この国は強固な結界に守られておるから安心じゃが、中には結界を破って攫いに来る魔族も出るやもしれんからのぅ」 「ハチ、大丈夫だ。お前の事は俺が守ってやるから」 「ラドのだんな……でもご心配にゃあ及びません。だっておいらには、随運堂がついてるし!」  ハチがほかの男を頼るものだから、ラドバウトのこめかみにビシリと血管が浮いた。  それを見たヘイスは、ソッと貴重な本を腕に抱え、いつでも避難できる態勢を取る。 「ここにいない者に、どうやってハチを守れると言うのだ? 大人しく俺に守られていろ」 「けどさ、ラドの旦那は江戸まで一緒に来れねぇだろう?」 「エドまで一緒に……? ハチ、お前は何を言っているんだ?」 「へぇっ? もちろん江戸に帰る話でさぁ。今ごろきっと長屋のみんなも心配してるだろうし、おいら一刻も早く帰りてぇんです」 「うーむ……」  マルセルは一声呻いたっきり、無言で長い髭を扱き続けた。  シンと静まりかえる室内。  ハチはなんだか嫌な予感がした。 「実はな、ハチ。お前さんはエドに帰ることはできん」 「へっ? け、けど……俄羅斯(おろしあ)(ロシア)に流れちまった、大黒屋光太夫なんかの例もあることだしよ……」  それはかつて海難事故の末にロシアに渡り、鎖国下の日本に無事帰国を果たした人物の名である。  前例があるのだ。自分だってちゃんと帰れるだろうと、ハチは信じていた。  しかしハチが流されてきたのは異世界だ。大黒屋とはわけが違う。  このときのハチには、そのことが理解できていなかったのだ。 「大黒屋はちゃんと帰ってきたんですぜ?」 「ダイコクヤとやらは知らないが、この世界に異世界人が元の世界に帰ったという事例は見当たらん。生涯この地で暮らしたと伝えられておる」  マルセルの言葉に、ハチの血の気がスッと引く。  胸がバクバクと嫌な音を立て、頭がガンガンする。  膝の上でギュッと握りしめた拳が大きく震えるのを見たラドバウトは、なんとか慰めようとしたが、ハチはそれどころではない。 「おいらを(たばか)ろうとしてるんですかい!?」 「嘘や冗談ではない。この国に古くから伝わる文献に書かれた真実じゃ」  マルセルはヘイスの抱えた本の中から一冊を取り出すと、あるページを開いてハチの目の前に広げた。 「この方は、今から十五代前の王の御代に現れた異世界人じゃ」  そこには一人の男性の肖像と、その下に小さく『ショーゴ・カキウチ』と書かれてある。彼こそが遥か昔、聖バームスロット王国に初めて現れた異世界人で、当時の国王と共に国を豊かにし、この地で没したと文献には記されていた。 「ここはハチが元いた場所とは全く違う世界。こちらに迷い込んだ者は、元の世界には一生戻れんのじゃ」 「嫌だっ!」  ハチは勢いよくソファから飛び上がり、悲鳴にも似た叫び声を上げて否定した。 「おいらは絶対帰るんだ! 待ってる人がいるんだよ! あんたらが手助けしてくれねぇってんなら、おいら一人でだって江戸に帰ってやる!!」 「ハチ……それはできないと」 「なんでだよ! 来れたんだから、帰れて当然だろ!?」  わけのわからぬ話をされてパニックに陥ったハチは、そのまま涙をボロボロ零して「帰せ、帰しとくれよ!」と喚き続けたのだった。

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