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庶民ハチ 若殿さまと ご対面

 とにもかくにも、ハチが国王と面会することは決まってしまった。  ラドバウトは急いで実家に使いをやって、自分が子どものころに来ていた服を取り寄せた。 「正装ではないが、さすがに平服でお目にかかることはできないからな」  名門貴族のお坊ちゃまだけあって、ラドバウトの服は見事なものだった。  金糸や銀糸の刺繍が施され、ボタンには宝石が使われている。 「ほぇぇ……おいらこんな着物、今まで見たことがねぇ……」  ハチは目を丸くして驚くばかり。 「とりあえず着てみろ」  ラドバウトに促されて袖を通したハチだったが……。 「……大きい」  着丈はちょうどいいのだが肩幅が違いすぎて、その分袖が長くなる。  ズボンに至っては腰回りがブカブカで、ベルトをしなければスルリと脱げてしまう始末。  ラドバウトが穿いていたころは半ズボンだったはずが、ハチが穿くと七分丈に見えてしょうがない。 「俺が十歳のころに着ていたものだが……それでもハチには大きかったか」 「十歳!」  自分より九つ下の子どもが着ていた服と知り、ハチはショックを隠せない。 「お下がりですまんが、今はこれで我慢してくれ。今度ハチの服を作りに行こう」 「いぃっ? おいら、お下がりで充分でさぁ!」  古着、リサイクルが当たり前の江戸に暮らしていたハチは、服なんてお下がりが当然という考えである。着物を(あつら)えるのは、裕福な商人の家の子や、お武家さまくらい。庶民の自分が一から仕立てて貰うなんてこと、ハチには絶対にあり得ない話なのだ。 「後で裁縫道具を貸してもらえやせんか?」 「そんなもの、どうするのだ?」 「この、ぶらうす? とか言うやつも、袖を詰めれば丁度よくなりやすよ。おいら自分で直しやすんで」  長屋のばあさん連中に、家事の一切を仕込まれたハチ。料理はあまり得意でないものの、掃除に洗濯、針仕事はお手の物なのだ。  しかしハチの服を仕立ててやりたいラドバウトは、なかなか「うん」と返事をしない。 「この服だって仕舞われたまんまじゃ、かわいそうじゃあございやせんか。それにおいら、ラドの旦那が着ていた服が気に入ったから、これを直して着てぇんです」 「俺の服が着たい……だと?」 「へぇ!」  俺の服をハチが着る……そう考えただけで、ラドバウトの相好が崩れていく。 「ゴホン。相談は終わったかの?」  マルセルがいたことをすっかり忘れきっていたラドバウトは、慌てて空咳を一つして 「お待たせ致しました。それではまいりましょうか」  ハチを促し、マルセルとヘイスの後に続いて、国王の私室へと向かった。  黒の騎士団の詰め所を出てすぐ馬車に乗り、そこから十五分ほど走るとようやく正門に入る。さらに五分ほど経った頃、ようやく馬車が止まった。  目の前に聳え立つ宮殿本館は、団の詰め所とは比べ物にならないくらい巨大で荘厳な建物で、ハチは口をあんぐりと開けてただただ見上げることしかできない。  マルセルとラドバウトが歩みを進めると、衛兵が敬礼をして一同を出迎える。宮殿内でも有名な二人がいたからこその行為だったのだが、帯刀した兵士に敬礼された経験のないハチは、心臓が止まるほど驚いた。 ――なんだってこのお武家さまたちは、手を頭の横に置いていやがるんだ?  初めて見る敬礼に、ハチの脳裏にたくさんの疑問符が飛び交った。  しかしそんなことに気付かない三人は、長い廊下をどんどん進んでいく。階段をひたすら上り、曲がり角をいくつも曲がっても、目的地にはまだ着かない。   「ヘーカとやらの部屋は、随分遠いんですねぇ」  思わずハチがぼやきを漏らす。 「警備の問題もあるからな。陛下のお部屋は宮殿内でも奥まった、安全な場所にあるのだ」 「そう言うもんなんですかい」  それから五分ほど歩いたころ、ようやく目的地である国王の私室に到着した。  鉄黒色のドアの前に、騎士が二人。マルセルが名を告げると、重厚なドアが音もなくゆっくりと開いた。  目に飛び込んできたのは、鮮やかな青。鉄黒色とは対照的に、室内は清々しい青で統一されていた。  開け放たれた窓から一陣の風が吹き込み、レースのカーテンとテーブルに置かれた大輪の百合を揺らす。  奥には巨大な暖炉とマントルピース。その上に置かれているのは、繊細模様が施された銀の燭台や装飾品。どれも一目で高価な品とわかった。  一番隅には、美しい女性と小さな子どもが描かれた肖像画も並んでいる。絵の中の彼女はまるで天女のごとき優雅な笑みで、ハチの訪れを出迎えてくれているように見えた。  騎士団の詰め所やラドバウトの部屋とは異なる雅な空間に、ハチは言葉もなくただただ見惚れるばかりである。 「陛下。ご所望の異世界人を連れてまいりました」  マルセルが恭しく礼をする。  ラドバウトとヘイスも黙ってそれに倣うので、ハチも慌てて(こうべ)を垂れた。 「マルセル、ご苦労だった」  そう言う声は、随分若いようだ。 「頭を上げてくれ」  ハチがソロリと頭を上げると、ソファに座る若者が見えた。  年のころは、自分とさほど変わらないだろう。胸まである栗茶色の艶やかな髪が印象的な、線の細い優美な男だった。 ――これが、ヘーカか?  陛下とはこの国を治める者とハチは聞いた。  つまりは殿さまかと考えていたのだが、目の前の男は若殿さまと言った方が相応しいだろう。 「今日は正式な謁見ではない。みんな、座って話をしようじゃないか」  促されてソファに座る一同。  ほどなく茶と菓子が運ばれてきて、テーブルの上に並べられた。  初めて見る異世界の菓子に、ハチは興味津々。穴が開くほど見入ってしまう。  そんな彼を見て国王は、小さな笑みを零した。 「ハチくん、と言ったかな?」 「へぇ。おいら、江戸は谷中の三崎町からまいりやした、ハチってケチな野郎でございやす」 「ご丁寧にありがとう。僕はアレックス・フェルディナント・バームスロット。この国の国王を務めている」 「あれっく……?」  国王の名が思いのほか長かったため、ハチは混乱した。 「もしも覚えきれないようなら、アレクでもいい」 「陛下!」  これに驚いたのはラドバウトの方だ。  国王を愛称で呼ぶなど、あまりにも不敬すぎる。  ハチにはなんとか王の名を覚えさせようと思ったが、当のアレックス国王は平然とした顔で 「ハチくんはそれでいい。僕のことを愛称で呼ぶ人など、今ではほとんどいなくなったからね。アレクと呼んでもらえると嬉しいよ」  と取り合わない。 「それよりもハチくんが住んでいたエドとやらはどんな所だったか、たっぷり聞かせてくれないかい?」 「へぇ。ようござんすよ」 「じゃあまずはお茶にしよう。遠慮しないで食べてくれたまえ」  そう勧められたはいいが、こんな菓子など見たことがないハチは、どう食べればいいのかがわからない。  困惑するハチにいち早く気付いたラドバウト。 「ハチ、ケーキは一口大に切ってから……あぁ、お前はまだフォークの使い方がわからないのだな」 「へぇ……すまんこってす」 「いい、貸してみろ」  食堂と同様に、ハチのケーキをフォークの側面で小さく切ってやるラドバウト。 「あとは刺して食えばいい」 「ありがとう、ラドのだんな!」  そんな二人のやり取りを見て、アレックスはますます笑みを深めた。 「随分とラドバウトに懐いているようだね」 「はっ。恐れながら、ハチは自分が拾って面倒を見ておりますゆえ」 「異世界人がなんの不便もなく、この国にいられるのはいいことだ」  彼はラドバウトとハチのやり取りを気にすることもなく、優雅にカップを傾けた。 「ハチくん」 「へぇ」 「伝説の異世界人が僕の御代に現れるなんて、これほどの僥倖はない。本当に嬉しく思うよ。ぜひ友だちになってほしいな」 「おいらでよかったら、喜んで!」  ハチは破顔して答えたが、ラドバウトはこのやり取りを心中穏やかならぬ気持ちで見守っていた。 ――陛下はハチを随分お気に召されたようだ。もしもハチまでも陛下を気に入って、俺の元から去って行ったら……。  ドロリとした暗い感情が胸にわだかまるのを感じながらも、ラドバウトはアレックスとハチのやり取りを見守り続けるしかなかった。

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