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埋葬
ユキ、と父親はユキをそう呼んだ。
母親が病死して以降、父の様子はおかしかった。ユキにべたべたと触るようになったし、ユキを部屋に閉じ込めるようになった。
兄の利樹は放置されていた。彼は最初、父の気を引こうと躍起 になっていたが、それらは徒労に終わった。
父はそのうちに、ユキを抱くようになる。抱っこではない。性交だ。
ユキは最初、泣き叫んで助けを求めた。
父に抱かれている最中、父の部屋のドアがわずかに開いており、そこから利樹が陰鬱な目で覗いていることを知っていたから。
ユキは兄へと、助けて、と繰り返した。
しかし利樹はいつも、愛してるよユキ、という父の言葉が聞こえた瞬間にはパタリとドアを閉じてしまうのだった。
ユキは何度、そうして隙間が閉ざされるのを目にしただろうか。その回数を数えることにも飽き飽きした頃。
父の部屋が、大幅な改修工事を経て、ユキのための牢獄へと変貌を遂げた。
キッチンもシャワーブースもトイレもなにもかも完備されており、ユキを、一歩も外へ出すまいとする父の執念が、こびりついたような部屋だった。
父は開業医で、日中は仕事へ出掛ける。その間はドアには外から鍵が掛けられた。
ドンドンとドアをこぶしで叩いて、「お兄ちゃん」と呼んでみたけれど、返ってくるものは沈黙だけだったので、ユキはやがてそれもやめた。
父が次に行ったのは、ユキを『ユキ』にするための手術だった。
ユキを薬で眠らせ、秘密裏に診療所へと運び、ユキの性器を切断した。
ユキが目覚めたときには、もうすべてが終わっていた。『勇樹』、という少年は死んで、『ユキ』になっていた。
これでおまえは永遠に可愛いままだ。父が満足そうにそう言った。
ユキの傷が完全に癒えるまで、父はそこを毎日消毒した。
ユキは父親の前に立ち、自ら服を脱ぎ、全裸になって足を開く。
父の背後には、僅かに開いた扉の隙間があって……その向こうに利樹の姿があるような気がして。
気付けばユキは、半狂乱で泣きながら「ドアを閉めて」と父親に乞うていた。
隙間が、恐ろしくなった瞬間であった。
性器がなくなっても、排尿などには支障がなかった。
いつかココを女の子と同じにしてあげような。
ユキの後ろを貫いて、父親はユキの会陰部をぐにぐにと指で押しながら、そう繰り返した。
そして、十二歳の誕生日の朝が来る。
お父さんがいつものように病院へ行く支度を整え、外からドアを閉めようとした。
ユキは、特別な日だからお父さんをお見送りしたい、と父親にお願いをした。父は迷いながらも、ちゃんと部屋に戻るから、というユキの約束を信じ、ユキと一緒に階下へ向かった。
一階へ続く階段の、一番上から。
ユキは父を突き落とした。
ものすごい音がした。
そっと見下ろすと、階段の下で父がうつぶせに横たわっていた。
頭から血が出ている。
低い呻き声が聞こえた。たすけてくれ、と僅かに聞こえた気がした。
一階のリビングから、利樹が出てきて……父の姿に驚き、立ち尽くした。
その、兄の目が。
ぎくしゃくと動いて、二階のユキを捉えた。
たすけてくれ。父がまた、呟いた。ユキは笑った。
お兄ちゃんが助けてくれるわけがない。
だって利樹は……ユキのことも、助けてくれなかったのだから。
茫然としている兄をそのままに、ユキは檻の中へと戻った。
胸の中は、奇妙にすっきりとしていた。
ユキは、殺された勇樹の仇 をとったのだ。これで勇樹を埋葬できる。
ユキはひとりで、お葬式を行った。
クローゼットから、黒いワンピースを出して。
兄に助けてもらえなかった勇樹の。
父に殺されてしまった勇樹の。
お葬式を、行った。
打ち所が悪かったことに加えて、すぐに救急搬送されなかったことが決め手となり、父は死んだ。
警察は不幸な事故として処理をした。兄もユキもまだ子どもで……足を滑らせて落ちた父の姿に動揺し、適切な処置ができなかったのだと同情を寄せてくれた。
父の保険金も下りた。保険金などなくとも、開業医だった父は潤沢な財産を残してくれた。
ユキは自由になった。
ユキをこの家に閉じ込める男はもう居ない。
けれどユキは、外へは出なかった。学校にも行かず、父に犯され、性器まで切断されたユキがいまさら、外の世界で生きていけるはずなどない。
それに、兄も怯えていた。
ユキが……兄の罪をすべて知るユキが、外でそれを暴露するのではないか、と。
弟が虐待されているのを見捨てた兄。
父親をすぐに助けなかった息子。
罪を暴かれたくない兄は、贖罪 代わりにユキの望むオモチャを与えてくれる。
父に散々抱かれたユキの体は、もう熟れ切っていて。誰かに抱かれないと満足ができないのだった。
そしていまは、斎木がその役割を担っている。
斎木は見た目は無骨な印象なのに、愛撫は丁寧で、ユキはいつもやわらかく抱かれた。
最中に、斎木の親友やその弟妹から電話が掛かって来ることがあるけれど、スマホをとろうとする斎木を妨げ、ユキは己に繋ぎ止めた。
「おまえが一番、可愛そうだ」
男のその言葉が。ユキの中に沁みている。
情熱的に交わった後、斎木はいつも、利樹の話をした。
利樹が、ユキを心配している……と。頼んでもいないのに兄弟仲を取り持とうとする斎木に、ユキはいつも苛立った。
うるさい、と怒鳴るユキをその腕に抱きしめて。病院へ行け、と斎木は言う。
きちんと受診をして、ホルモンバランスを整えれば、体も心も健全になれるのだ、と。
医者など大嫌いだ、と暴れるユキを揺るぎなく抱きしめて。勇樹のためだと斎木が繰り返す。
けれどもユキが……。
そうやって、受診をしたとして。
他の、同い年の人間のように振る舞えるようになったとして。
可愛そうで、なくなったとしたら。
この男は、ユキから離れてゆくのではないのか……。
不意に、ひらめくようにユキはそう思った。
斎木などただのオモチャで。ユキの肉欲を満たすだけのただのオモチャで。居なくなっても、まったく困らないのだけれど。
けれど、他の誰が。
斎木以外の、他の誰が。
おまえが一番可愛そうだ、と言って。ユキの頭を撫でてくれるというのだろうか。次のオモチャは、それをしてくれるだろうか。
いままでユキは……ただ男の下で揺さぶられるだけの存在で。
ユキの髪を切ってくれたのも。性的な匂いのない接触をくれたのも。ユキを勇樹と呼んだのも。
斎木が、初めてだった。
ユキはいつまで可愛そうなままでいられるのだろうか。
不意にそれが恐ろしくなって、ユキはまた、斎木の熱を求めた。
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