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第8話
「じいさんの事は残念だった」
オフィスらしき部屋に通されると、枯野が静かに口を開いた。
「生前は大変お世話になりました。この淫花廓の事を聞いたのは亡くなる前だったのですが、大変よくしていただいたと聞いています」
升麻は対面する枯野へと頭を下げた。
男は表情ひとつ変えずに軽く頷くと、懐から煙管を取り出す。
だがすぐに何か思い立ったように、懐へ仕舞い込んだ。
「それで…三崎の坊ちゃんがわざわざアポなしでうちに出向いた目的はなんだ?ただの挨拶まわりじゃねぇんだろ」
枯野の鋭い指摘に、升麻は内心ギクリとした。
やはりこの男にはお見通しなのだ。
あらゆる業界人と繋がり、精通している枯野はすこぶる頭の切れる奴だと祖父が言っていた事を思い出す。
一筋縄ではいかないよな。
鋭い眼光に一瞥され、心臓が縮みあがる。
だが、升麻にも後に引けない理由があった。
退路は既に自ら絶っている。
帰る場所はもうないのだ。
升麻は居住まいを正すと、岩のように硬い表情の男を真っ直ぐ見据えた。
「僕を雇っていただきたいのです」
升麻の言葉に、枯野の眉がピクリと上がる。
「おいおい、何を言い出すかと思ったら…生憎俺は冗談は嫌いなんだ」
「冗談ではありません。真剣にお願いしているんです」
「なんの理由があってそんな:冗談を言ってるのかちっともわからねぇし、興味もねぇがこれだけは言っておく。ここはあんたみてぇなお坊ちゃんが来るとこじゃあねえんだよ」
「でも…」言いかけた升麻の言葉を、枯野の鋭い眼差しが遮った。
無骨な男の冷え切った眼差しは、升麻の決意をたちまち凍らせていく。
「それでも興味があるってんなら客として来な。あんたのじいさんには世話になってるからな、特別に一番人気の男娼をつけてやる」
枯野はそう言うと、升麻から視線を逸らした。
そして、入り口に立っていた男衆に告げる。
「お客さまのお帰りだ」
有無を言わさず帰そうとする枯野を見つめながら、升麻は唇を噛み締めた。
自分でも無謀な事をしている自覚はあった。
ミサキインテリアの社長の座から逃げた挙句、淫花廓に飛び込み、雇ってくれだなんて…祖父やミサキインテリアの社員が聞いたらきっと卒倒するだろう。
だが、これも升麻なりに考えた事だった。
未熟とはいえ、升麻も商売人の血を継ぐもの。
ただで置いてほしいなんて言ったら、それこそ祖父や先代たちに対しての冒涜になってしまう。
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