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第10話

「はぁ…」 升麻はため息を吐くと、ベッドに腰掛けた。 時間帯はすっかり夜だが、小窓からはぼんやりと光が差し込んでいる。 赤やピンクの色がついたその明かりは照明の明かり。 それはつまりこの淫花廓が営業していることを表している。 恐らく外では客が続々とやってきて、それを男娼たちが迎え入れているのだろう。 昼間は一人も見かけなかった男娼たちがどんな姿をしているのか興味はあったが、緊急の用がない限り部屋から外に出てはいけないと念を押されているため、覗き見は諦めた。 升麻がいるのは蜂巣(はちす)と呼ばれる部屋の一つだった。 蜂巣は本来客をもてなす場所に使われる部屋だ。 ここにはしずい邸というゆうずい邸という二つの楼があり、二つの楼からこの蜂巣という部屋が互いの敷地内に放射線状に広がっている。 しずい邸は雌…つまり男を受け入れる側の役目を果たす男娼がいて、ゆうずい邸はその逆、客を抱くのが務めだ。 升麻はゆうずい邸側の男娼見習いとして、明日からこの蜂巣で研修を受けることになっていた。 礼儀や作法を学び、客を喜ばせるテクニックを徹底的に身につける。 それはこの淫華廓で男娼として働く人間全員が最初に受けるものだと枯野から聞かされた。 ある程度の礼儀作法は祖父から教えられ身についているつもりだが、客を喜ばせるテクニックというのにはかなり不安があった。 つまりそれは身体的な事で…升麻は全くそういう経験がないからだ。 それどころか升麻はこれまで一度も「恋」をした事がない。 生まれた時から病を抱えた身の升麻は、自然とそういうものを諦めていた。 もちろん好きになりかけた人は何人かいる。 だが、先の長くない人生に血の繋がりのない他人を巻き込んで迷惑をかけたくないという思いで、知らずそういう気持ちが芽生える前に蓋をしていたのだ。 条件はもう一つあった。 その研修期間中、升麻が大病を抱えていることを決して誰にも悟られてはならないという事だった。 ハッキリと言われたわけではないが、つまり裏を返せば具合が悪くなったらすぐにでも追い返すからなという忠告だと升麻は捉えていた。 それに関しての自信もあまりなかった。 体調をコントロールすることは升麻にとってかなり難しい事だからだ。 だが、たとえ経験がなくとも自信がなくとも、ここで弱音を吐くわけにはいかない。 升麻にはもうここしか居場所がないのだから。 一日で一気に色んな事が起こりすぎて、まだ地に足がついていない感じがする。 社長という座を捨てて、男娼を目指す。 そこに深い意味や理由があるわけではない。 だが、これだけはどうしてもやり遂げたい。 不思議だがなぜかそういう気持ちが芽生えつつあった。 意地のようなものなのかもしれないが、何かに固執するのは初めてで自分自身に驚いていた。 今思えば、あの威圧的な枯野相手に…(枯野ではなく楼主と呼べと言われていたことを思い出す)あんなに話せたのも信じられないくらいなのだ。 今頃武者震いが襲って来て、升麻は荷物の中から薬を取り出した。 今から服用する分を手際良くわけ、残りをベッド脇の引き出しに仕舞いこむ。 明日から頑張らなければ。 「お願い…少し頑張って」 升麻は左胸に手を当てると静かにつぶやき、薬を流し込んだのだった。

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