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第21話
みっともない事をしている自覚はあった。
ましてや舛花に縋るなんて、自ら弱味を曝しているようなものだ。
だが、そうまでしてもあの三崎の家には戻りたくなかった。
あそこへ戻ったら、何も成し遂げる事などできない。
既に敷かれたレールの上。
行く先も知らないまま勝手に走り続ける電車にぼんやりと座っているだけの人生。
電車を動かしているのは決して升麻ではない。
ただその電車の名前が『升麻』というだけで、升麻自身には電車を動かす力も止める力もないのだ。
それは、升麻にとって舛花に弱みを握られるよりも苦痛な事だった。
「いやだ…あそこには戻りたくない…戻りたくない」
升麻は呟くと、くすんだ浅葱色の布地を握り締めた。
その手はいつの間にかガタガタと震えている。
しかし升麻はめげずに続けた。
「お願いです…誰にも言わないで…なんでも、なんでもするから…」
震える升麻の肩を大きな手がゆっくりと撫でていく。
すると舛花は徐に帯を緩めると、肩から着物を落とした。
筋肉のついた逞しい胸板があらわれ、自分の貧弱な身体との違いに目を見張る。
あぁ、そうか…
升麻は察した。
やはり取り引きにはそれ相応の対価が必要となる。
タダで黙っていてほしいなんて虫のいい話、舛花が了承するはずがない。
いや、例え舛花でなくともそんな条件快く思わないだろう。
つまり、これから升麻は肉体を差し出さなければならないという事だ。
また心臓が得体の知れない鼓動を刻みだす。
舛花の体温や眼差しが自分に触れるのだと思うと、腹の底で何かが燻る気配がする。
しかし不本意だとは思いながらも、どこかで舛花だったらいいかもしれないと思っている自分がいた。
だが舛花は着物を脱ぐや否や、くるりと背中を向けてしまった。
てっきり押し倒されるとばかり思っていた升麻は、予想外の行動に驚く。
すると、舛花は自分の背中を指差して言った。
「見ろ。ここ、わかるか」
舛花の指した場所に目を向けた升麻は思わず息をのんだ。
右肩から背中の中央に向けて斜めに皮膚の色が違う。
まるで鋭利な刃物で引き裂かれたような痛々しい傷痕がそこにはっきりとあった。
「俺が小学生の頃…ついた傷だ。まぁ俺から見えねぇからあんま気になんねぇんだけど、これに気づいた客はあんまいい顔しないから結構エグいんだと思う」
舛花はそう言うと、振り返った。
「な?傷痕なんて誰にでもある」
ふわりと微笑まれた瞬間、升麻の張りつめていた気持ちが綻んだ。
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