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雲仙蒼羽の章 第1話
俺はΩが大っ嫌いだ。
フェロモンの匂いがすると吐きそうになる。
女も嫌いだ。Ωで女なんて最悪だ。
なぜ、αとΩが番でなければならないのか。Ωからしかαが生まれないのか。βからはΩが生まれるというのに。いっそαもΩも滅びて、βだけになればいい。世界は平和に包まれる。
αである俺がこんなことを考えていると知ったらあいつらは奇異の目で俺を見るだろう。
幼少の時に植えつけられたトラウマが、もう26歳にもなるのに、心奥深くに根を張って俺を雁字搦めにしている。
俺の生まれた家はこの国で屈指の大財閥でαの中でも1,2を争う力を持った家系だ。その本家、雲仙に跡取りとして生まれた俺、雲仙蒼羽 は幼少の時から俺に取り入ろうとする、Ωたちに翻弄されていたのだ。
俺の子供を産めば次代の跡取りの母になり、権勢を手に入れられるという妄想の産物で、俺は相当にもてはやされて、そして子供ながらにうんざりとした思いをしていた。誰も彼もが欲に塗れた顔を、子供に向けていて、人間は怖い、Ωは怖いと心に刻むことになった。
人の眼が怖くなった俺は勉学と身体能力を磨くことに没頭し、友人はβと、俺に仕える影、瑛太しかいなかった。
αとは考えが合わず、競争相手としか見れなかった。
そんな中まだ精通も迎えるか迎えない年の頃、メイドとして雇われていたΩに襲われたのだ。
通常なら発情期は薬で抑えるか休暇を取る。しかしそいつはちょうど発情抑止薬が切れる頃に俺を部屋に連れ込んだのだ。
俺はその頃はまだ、笑顔の裏の感情を捉えることはできなくて美人のお姉さんが優しくしてくれたのだと思い、その女がΩだとはわからずにおやつを用意したという言葉に騙されて部屋に連れ込まれて犯されたのだ。
いや、犯させた、のだ。
フェロモンに誘発されてその時精通を果たしてしまった俺は愉悦に塗れたその女の顔に恐怖を覚えた。
性交の意味もなにもわからずに朦朧とした意識の中で本能が女を犯した。その女の肢体の気持ち悪さだけが記憶に残っている。快感もなにも感じられず何故自分がこの行為をしているのかさえ、わからずにただ、嫌悪感だけが俺を支配した。
発見された時は意識のないままに女を犯していたのだとずっと後になって聞いた。
女は直ちに処分された。どうなったかは俺には知らされてない。
俺はその後、熱を出して寝込み、しばらくの間その時何があったのか覚えていなかった。
しかしその事件は俺のトラウマとなり、女もΩにも性の興奮を覚えることはできなくなっていた。
性的成熟を迎える頃に俺はいくつもの恋の告白を受けていたがその時すら吐き気を覚えて平静を保つことが難しかった。精神科にも通った時期があり、今でも時折カウンセリングは受けている。
父はそれでも時が経てば伴侶を迎えると思っていたと思う。そのためか恋人すら作らない俺に無理強いはしてこなかった。いざとなれば弟を跡取りにすればいいだろうと、俺は家業を継ぐことを早々にリタイアし、家名だけは意識してエリートコースと呼ばれる官僚を目指すことにした。外にはやりたいことがあるとか財務省にパイプを作ることが家のためだとか、適当な言い訳をした。
それでもさすがに大学生になる頃には性衝動に負けて言い寄ってきたβの女とΩの男を相手にセックスを試みたことがあった。結果は散々に終わった。女は抱きつぶし、Ωの男は女よりマシだったがΩ特有のフェロモンを感じると吐き気がこみ上げて萎えてしまうのだった。Ωの女は鬼門で、どうしても子供を産ませる必要があるなら精子を提供するから勝手に産んでくださいとしか思えなかった。
最後に残った選択肢はβの男だったわけだが生物学的に難しいところがあった。受け止める側が相当行為に慣れてないと流血騒ぎになってしまうのだ。原因はα特有の男性器の大きさと持続力にある。Ωの男に種付けができるような形状のそれはβの男にとっては凶器にしかならない。
そんな事情で俺は世間一般には性に淡白な珍しいαと思われていた。女もΩも嫌いだから、という部分は内気だからなどという美談になっていた。
ところが俺にも運命の番が現れることになった。
大学時代の友人の合コンの席で俺は、”竜泉寺翔 ”と出会ってしまったのだ。
Ωだと初めはわからないくらいだった。物腰が柔らかい、中性的なβ。細身でΩにしてはやや背の高い方の部類に入る170cmくらい。俺は189cmだからかなりの差だ。柔らかそうな濃い茶の髪、濃い茶の目。彼の顔が凄く好みだった。出来れば持ち帰れないかと珍しく、というか初めての気持ちに戸惑いつつ話しかけた。
「僕はΩなんですよ。皆さん、初め気付かないんですけどね。Ωオーラが出ていないみたいで。」
と笑っていた。
俺はそれを好ましいと思い、胸に湧くざわめきに戸惑った。Ωは苦手なはずなのに嫌悪感がない。
「俺はΩが苦手だからその方が嬉しいね。」
そう言ったら失礼ですよと怒られた。二人で並んで笑っていたら写真を撮られた。
彼とのツーショット写真はそれ一枚だ。
俺は連絡先を交換し、デートに誘った。この気持ちは何か知りたくて。
彼とのデートは映画を見て街を練り歩き、ホテルへ誘う。そんな計画だった。
映画を見て感想をカフェで言い合い、街を歩いた。彼から漂う体臭は嫌悪感を感じなかった。
彼とならトラウマを克服できそうだと思い始めた矢先。
それは起こった。
交差点で立ち止まり、たまたまスマホが鳴った。了承を取って繋いだ手を離し、電話に出た。その時、悲鳴が起こった。暴走する車が交差点で信号待ちをする人々の群れに突っ込んできた。振り向いた時、彼はそばに立っていなかった。隣にいた子供を庇って地面に血だらけで倒れていた。
車は彼を刎ねた後俺とは反対側に曲がって走っていき建物に激突して止まった。人々の阿鼻叫喚が遠くに聞こえた。
震える手で彼の血だらけの手を握った。
「…蒼羽さん、…運命の番は…僕じゃないですよ。きっと…出会えます…だから、悲しまない…で…」
しゃべったあと咳き込んで血を吐いた。俺はなぜ手を離した。よそ見をした。
「翔…何言って、しゃべるなよ…もうすぐ救急車来るから…」
彼はとびきり優しい顔で笑って目を閉じた。それから数時間後、搬送された病院で息を引き取った。
葬儀に出席してしばらく俺は抜け殻のように過ごした。その日も真っすぐ部屋に帰る気にならずにどこかに飲みに行こうかとふらふらと街を歩いていた時だ。
翔とすれ違った。
思わず振り返った。翔は亡くなった。生きているはずがない。でも足が勝手に追いかけた。
翔は迷うことなくバーに入っていった。
俺はその手前で立ち止まって違和感に気付いた。
周りから注目されていた。特にバーに入っていく男たちの不審げな目が気になって、瑛太に電話をした。
『はいはーい、あなたの便利屋瑛太ちゃんですよー』
「そんな遊びはいらない。【フリーダム】というバー何かやばいところか?」
『そこってβの同性愛者の発展場だよ。αが入ったら大騒ぎになるよ。何してんのあんた。』
「翔がいた」
『はあ?何言ってんの。危ない薬にでも手を出したのかよ?』
「俺は正気だよ。情報ありがとう。」
俺は覚悟を決めてバーの中へ踏み込んだ。
当然、場違いな乱入に店内が騒然となった。翔はカウンターにいた。騒ぎを気にもせず、声をかけるまで俺に注目はしなかった。
声をかけたらあっけに取られていたようだったけれど。
思わず声が上擦ったのは緊張からだったのか。…緊張?長年忘れていた感覚だ。
平静を装って隣に座った。心臓が破裂しそうになっている。
見つけた。そう、思った。
翔より声が低い。それに割と愛想がない。でも、邪剣にはしていない。一人で何か考えてるようだった。
酒をマスターから受け取って、再度声をかけた。ちっともこちらを見ないからだ。
「…その、君と、少し話をしても?」
からりと、持ったグラスの氷が揺れた。一口飲んだ後に帰ってきた答えに俺は驚愕した。
「んー、ベッドの上ならいいかな?」
速攻お持ち帰りにした。
瑛太に頼んで近くのホテルのツインを取った。逃げられないようにしっかり手を繋いでホテルに連れ込んだ。彼と並んで歩くと身長差は10~15cm程度だ。翔より、体格はがっしりしているが、βではやや細身の部類だろう。翔とほぼ同じ顔だが、中性的には見えず、しっかりと男の顔だった。髪は翔と同じ濃茶で瞳も同じ濃茶だったけれどやはり翔とは別人だ。
彼は終始呆然としていて交替でシャワーを浴びても何やら心がどこかに飛んでいるようだった。
そして彼の言う通り、ベッドの上に二人で座り、向き合った。彼の瞳に光が戻ってハッとしたように俺に上目遣いで聞いてきた。何だ、凄く色っぽい。バスローブから覗く肌がうっすらとばら色に染まっていて艶めかしい。下半身に熱が集中していく。無駄な脂肪は付いてないようで、適度に鍛えられていそうな筋肉がその艶めかしい肌の下にあった。
「えーと、話すだけだよね?」
俺はあえて彼の戸惑いをスルーした。
「ピロートークをしてくれるとは思ってなかったよ。嬉しいよ。」
彼はひきつった表情を見せて、でも頷いてくれた。
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