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『正嗣が事故にあった。』
仕事中に鳴った電話にでてみれば、予想外の単語が飛び出してきて身体が固まった。
正嗣が事故?
電話を掛けてきた広田は正嗣の元同僚だ。就職が決まり、同じビルで正嗣に逢うことができた俺は合格の報告をした。その時同じ持ち場で働いていたのが広田だった。その日3人で合格のお祝いをしてから、なんとなく繋がっている仲。正嗣と同じように年に数回くらいしか逢わない男。
正嗣と違うのは、電話でのやりとりをしないことだ。正嗣の口から広田の近況を聞くことがあっても、俺が直接聞くことは無い。正嗣を間にして繋がっているあやふやな関係だ。
広田が初めて俺に掛けてきた電話の内容が、事故の報告とは・・・。
『正嗣の電話帳にある番号に片っ端から掛けることにしたらしい。俺は正享を知っていたから電話を頼まれた。』
意味がわからない。
片っ端から?嫁が直接かけてくるならわかるが。
「よくわからない。誰が片っ端から?」
『正嗣の父親。怪我はそうでもないらしい。どうやら記憶が飛んでいるらしいんだわ。それで正嗣の知り合いに沢山逢えば記憶が戻るかもしれないって。できるだけ見舞いに来てくれないかってお願いされたところなんだよ。』
「記憶が・・・ない?」
『一過性のものじゃないかって医者は言ってるらしいけど。仕事が終わったら見舞いにいくつもりだ。』
「・・・そうか。」
『仕事中に悪いな。俺も現場なんで、そろそろ切るわ。』
切れたスマホを眺めて俺が考えたこと。
記憶が飛んだということは、俺のことを忘れているということだろう。
俺の事を知らない、本当の他人になった正嗣であれば忘れることができるじゃないか。何の思い出もない俺のことを知らない男。それはもう正嗣ではないし、俺の知っている男ではない。
自分の中からどんどん色あせていく想い出に委ねれば、グジグジと滲みだすような恋心もやがて消えてくれるかもしれない。
これが本当に忘れるためのチャンスだとしたら?
広田は病院がどこだか言わなかった。かけなおせばすぐに教えてくれるだろう。
俺はスマホを胸ポケットにそのまま仕舞いこんだ。
正嗣に近付くな・・・きっとそういう意味だろう。
廊下を歩きオフィスに向かいながら固く心に決めた。
病院には行かない。俺のことを忘れた男のことを今度こそ消してやる。
幾分心が軽くなったような気がすることに満足して、仕事をするために頭を切り替えた。
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