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⑤
何人もの見舞客が訪ねてきて、俺の顔をじっとみる。
心配と期待に彩られた顔・・・顔・・・顔。
口々に自分の名前を名乗り、どういう関係だったかを補足して俺の顔をまたじっと見る。
「思い出した?」口を開かなくたって聞こえてきそうな言葉。
どうやら俺は事故のショックで記憶を飛ばしたらしい。父親が電話帳にあった番号に片っ端から電話をしたせいで見舞客がやってくる。滅多に逢わない人間まで現れているようだ。クラス会で社交辞令的に番号を交換した相手だっている。「高校の時同じクラスだった。」なんて頻繁に会っている間で交わされる会話ではない。
日に何度も顔をだす父親は、たしかに自分の顔に似ていた。だから親であることは間違いないと思う。正嗣と呼ばれる自分の名前らしきものにも慣れた。
記憶が戻らないことに焦りはないし何故か不安もない。
成るべくしてこうなったという思いが拭いきれないのが不思議だ。だから父親の努力に申し訳ないと思いつつも、のんびり休暇のつもりで入院生活を楽しもうと思った。
俺が遭った交通事故は完全な貰い事故で、仕事中の出来事だったらしい。「有給消化をしたあとの事はまた相談しましょう。」俺の勤務先の上司らしき男はそう言って帰って行った。
清掃会社の正社員として働いており、そこそこ評価されている感触があったから、とりあえず仕事の心配をしなくていい事も安心材料だ。
掃除・・・。
水滴を拭きとってピカピカになった鏡が脳裏をよぎる。
なんだ?
記憶の切れ端か?
何百枚も何年も磨きつづけてきたはずの仕事の断片。
『近づくな。』
聞こえてくる自分の声。
ガバっとベッドの上で起き上がると、全身を貫く打撲の痛みと共に鏡の映像は消え去った。
自分の声も聞こえない。
でもなんだか怖い。急に不安が押し寄せる。
〈正嗣。〉
この声・・・覚えている。ぼやけた灰色の顔が俺を呼ぶ。
〈正嗣。〉
誰・・・だ?
『近づくな!』
俺が叫んでいる。頭の中に響く警告。
耳を塞げば聞こえなくなるかもしれない。思い切り手のひらを両耳に押し当てて目をきつく閉じた。
「大丈夫?頭が痛い?」
聞こえてきた声は現実だった。そして女性のものだったから自分の声ではないことに安心して視線を移す。
そこには心配そうな顔をしながら、俺のほうに手を伸ばそうとしている女性が一人。
「美砂緒・・・。」
そこに立っていたのは元配偶者。
「マサ・・・え?わかるの?」
・・・ああ何故だかな。
別れた元カミさんの顔をきっかけに、俺の記憶はどんどん頭のなかになだれ込んできた。
それなのにどうしてだろう。記憶を取り戻したのというのに、俺の心は不安でいっぱいになった。
『どうしよう…。』
俺の中の俺は消えることなく俺に警告する。
違和感と不安、焦りと怖れ。
俺は・・・たぶん間違った。記憶は取り戻してはいけなかった・・・ということだ。
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