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⑩
キスは気持ちいいと思う。
柔らかい乳房も、濡れた秘部も、温かい舌だって気持ちがいい。ふわふわの全身に包まれて幸せな気持ちにだってなれる。呻く姿に体温があがる。
なのに。
俺の身体は反応しない。なにかが大事な所をせき止めて、勃起するはずの場所に血液を送ってくれない。脳と心と体が全部バラバラで、どうしようもない。
理性をとばすほど脳は夢中にならず、快感としてあるべき刺激を翻訳しないままに放置する。
僅かにあがった体温も熱くするには程遠く、心は「違う、違う」を繰り返す。
どうして・・・こうなる。
情けない・・・そしてわからない。
悔しい・・・そして怖い。
ポロリと零れ落ちた涙は止まることなく流れ続けた。
心臓のあたりが痛い、ギリギリする。違う違うを繰り返し、頭の中に響く声も同じだ。
『違う。違う。でもこれ以上は駄目だ。』
『違う。違う。でも近づくな。』
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
思い切り声を張り上げてみても、涙は止まらずどんどん沈んでいくだけだ。美砂緒はそんな俺をじっと見ながら何も言わなかった。
俺のせいで、またもや二人は未来に繋がらずに終わるのだろう。美砂緒はこれで納得できたのか?傷ついた心の傷に塩を捻じ込むような行動の結果は満足できるものなのか?
「やっぱり、来るべきじゃなかった。意地でも・・・俺は来るべきじゃなかった・・・。」
ようやく少し話せるぐらいに嗚咽が収まりだしたころ、ようやくそれだけ言えた。
美砂緒は下着を身に着け始め、何も言わない。
俺はそれ以上何か言う用意も、力もなかった。
「マサ。あなたはぜったい変よ。」
「ああ・・・わかっているよ。」
「何を忘れてしまったの?何を押しこめてそうなったの?」
美砂緒の言葉に狼狽える。
記憶の断片、探るな、掘り返すなと警告する自分。忘れたいと願った何か。
「わから・・・ないんだ。」
美砂緒はあっというまに身支度を整えた。手で髪をなでつけ、食事をしていた時となんら変わらない姿に戻っている。
「マサは、そうね。自分でも認められない何かを心の中に隠している。だから出来ないのよ。でもあの日、あなたはちゃんと勃起してた。」
「・・・ああ。」
「離婚してからマスターベーションはできるの?」
「・・・ああ、たまにだけど。」
「何を思い浮かべるの?」
「・・・・なに言って・・・。」
ベッドにすわって項垂れている俺の前に立ち膝の姿勢になった美砂緒は下から見上げてきた。
「私は聞く権利がある。何をイメージしたら勃つわけ?」
何を?ムラっときて扱くだけだ。エロ本を買うこともない、AVだって見ていない。単なる生理現象じゃないか。イメージ?何を・・・。
「特になにも・・・。」
「たぶん、それが答えだと思う。どうやら私にはこれ以上無理みたいだし、セックスのない生活なんて私は嫌。どんなにウマがあっても一緒にいて楽しくても、私に欲情しないくせにマスターベーションができる相手なんて必要ないわ、でしょう?」
俺に何が言える?
「答えは自分で見つけて。じゃあね、よほど用事がない限り電話もしないからマサもかけてこないでね。」
美砂緒はニッコリ笑ってキスをして出て行った。
俺はまた彼女を傷つけ、自分の不甲斐なさに情けなくなる。
答え・・・答え・・・。
〈おねが・・い。ねえ・・・マサ・・・〉
トイレの個室に駆け込む自分。仕事中だというのに猛った自分を夢中で扱いている。
仕事中の違和感。今日あったはずの何か・・・もしくは誰か。
「俺は忘れたいと願って封印したのか?どうなんだ、答えてくれ!」
ホテルの薄暗い部屋に返事をくれる相手はいない。
全裸でうなだれる30代の男が一人。
自分の心の中に何かを隠し、埋め込んだまま。
答えが見つからないままこの状態が続くのだろう・・・這いずりあがる恐怖を打ち消すために立ち上がる。冷たい水でもかぶろう。
〈おねが・・い。ねえ・・・マサ・・・〉
耳を塞ぎながらバスルームに駆け込んだ。
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