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携帯の電話帳をチェックすることから始めた。
覚えている見舞客の名前を紙に書きだす。全員が期待をこめた目で俺をみつめながらフルネームと関係を伝えてきたから、ちゃんと覚えている。
結構な人数が見舞いに来てくれていた。父親も必死だったのだろう。息子が記憶喪失になるなんて、ドラマじゃあるまいし考えたこともなかったはずだ。
そして父親に請われた友人達は俺との友好関係の深さや浅さとは関係なく興味や好奇心が沸いたはずだ。『記憶喪失になった知り合い。』
俺だって、ちょっと興奮して見舞いに行ったと思う。
誰だ・・・これ。
【正享】
苗字がなく下の名前だけだ。社交辞令の番号交換の場合、俺はフルネームでメモリーする。苗字や名前だけでは忘れてしまう可能性があるからだ。そして補足に「高校のクラスメイト」「中学の同窓」といったメモを加える。
名前だけのメモリー、メモもない。ということは親しい間柄ということなのに見舞いに来た形跡はない。
このまま電話してみようか。
その思いつきに項のあたりがギュっとした。ダメだ、いきなりは不味い、そんな気がする。
広田なら知っているかもしれない。元同僚で、今は看板屋だ。俺の思い浮かべる看板と広田の言う看板は全然違うらしい。看板ではなく『サイン』というお洒落なもので、デザイン性が求められるクリエイティブな仕事だと熱く語る。
少々面倒くさい男だけれどマメだから、見舞いに来たときに顔を合せた人間を覚えているはずだ。俺が見落としている誰かを思い出してくれるかもしれない。
さっそく電話をする。
最近は怖くなるので、電話を使う事が少ない。誰かと電話をして寝室に行った、あのイメージが浮かんでくるからだ。そして記憶の断片が繋がり声が響くことになる。だから避けてきた。
『お~久しぶりだな。体調はどうよ。』
広田は相変わらずのテンションであっさり電話にでた。
「ああ、大丈夫。仕事もちゃんとしているし何の問題もない。」
『美砂緒ちゃんは?』
「美砂緒?なんで?」
『え~美砂緒ちゃんの顔みて記憶戻ったっていうから、二人でまた仲良くなってヨリを戻すんじゃないかって期待してたのにさ。そういや、お前、正享に離婚したこと言ってなかったらしいじゃんか。』
正享・・・まさたかって言った。
「ああ・・・まあ。そんなに言いふらすことでもないし。」
『そうだけど。そういえば電話きてないか?忙しくて見舞いに行けないから、落ち着いた頃に快気祝いでもするかって事になってたのにさ。忙しいのかな。お前最近YZRビルに入ってないのか?』
あのビルだ。俺をザワザワさせるビルだ。
「たまに行くよ。」
『じゃあ、正享に逢ったら言っといてくれるか?忙しいのはわかるけど、あんまり放置しすぎじゃないかって。』
「じ・・・自分で電話すればいいじゃないか。」
『やだよ。連絡係は正嗣の役目だろうが。言っておくけど、俺と正享はそんなに親しくないっていうか距離がある関係なんだよ。お前を間にしてつながっているって感じかな。だから任せる。』
「うまく顔を合せたらな。」
『木藤商事の総務のフロアをウロウロすればすぐ逢えるだろ?あ、悪い、アポの客がきた。じゃあな。』
アッサリ切れた電話とあまりに簡単に得られた情報。
やはりあのビルは特別な場所だったのだ。そして鍵を握る男が勤めている会社が入居している。一番引っ掛かったことは離婚のことを打ち明けていないということだ。
親しい間柄であるなら打ち明けているはずじゃないか?広田には言ったのだから、正享という男にも話して当然。
総務・・・か。
顔を見て、正享という男のことを認識できるのだろうか。
わからないが、試してみたほうがいい。ズブズブと吸い込まれていく蟻地獄のような状態から抜け出したい。それがたとえ、思い出さない方がよかったと思えることであっても。
今の状態より、よほどましだ。
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