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指定されたホテルの部屋の前に立った。 朝から5分に一回、行くことをやめようと考え、その度に晃希が「いかなくちゃ。」と笑う。その顔を見て悲しいのか苦しいのかわからなくなり、気持ちが沈み込む。そんな時間を過ごし続けて、すでにもう疲れていた。 ここまできて帰ってしまえば、背中を押してくれた晃希に申し訳がない。 力強く聞こえるといいと指を打ち付けたノックは思った以上に小さい音にしかならなかった。 カチャ ドアがゆっくり開き、そこには正嗣が立っていた。 明らかに俺を認識している顔だった。どこか薄ぼんやりして熱があるように顔が赤いのは具合でも悪いのだろうか。 何も言わず、部屋の奥に戻っていく背中をみつめながらドアを閉めた。部屋の中を見て顔がカっと熱くなる。その部屋はダブルベッドとソファがあるだけの部屋で、どういう意味かわからない。正嗣が泊まるならシングルで充分じゃないか。 差し出されたビールを無言で受けとりソファに座ると正嗣はベッドの端に腰かけた。何をどう切り出していいのか途方にくれながらビールを飲みこんだが、いつも以上に苦く感じてちっとも美味しくない。 「色々あって・・・悪いけど、俺の話しを聞いてくれるか?」 昨日の電話でも何回も「悪いけど」と言った。こんなことを言う男ではなかったはずだ。ここまで来てしまった俺は話を聞くしかない。たとえそれが自分の望まないことであっても。 「俺、事故にあって記憶喪失になったことは知っているだろ?」 「ああ。」 「一度忘れて、美砂緒の顔をみてまた記憶が戻った。それなのに違和感があって、思い出そうとすると『思い出すな』って声が聞こえたり、断片的なイメージが沸いては消えていくことが続いたんだ。俺は正享のことだけスッポリ忘れたまま記憶を封印していたんだよ。」 どおりで・・・。廊下ですれ違ったのに俺だとわかっていない態度は本当に忘れてしまっていたらしい。でも、なぜ思い出したのだろう。 「あと・・・俺、離婚のことを言ってなかっただろ?」 「そうだな、広田に聞いて驚いたよ。」 「セックスレスが原因だ。」 話しの方向性が見えてこない。ダブルベッドの部屋でセックスレスという単語を放り出す正嗣の真意がまったくわからなかった。女を抱けなくなったと聞かされて俺にどうしろというんだ? 「俺はある日を境に美砂緒を抱けなくなった。それには理由があって、正享を忘れてしまおうと封印したことに関係ある。」 「意味が・・・わからない。」 「寿。」 寿・・・。かつての恋人、俺を見限った年下の男。オフィス機器と文具を扱うメーカーの営業だ。取引先の相手とそういう仲になり、やがて終わった。今は別の会社を担当しているらしいから、別れてから顔を合せることはない。どうして寿のことを正嗣が知っているんだ。 「俺・・・掃除をしにトイレに行ったんだ。」 ・・・なんてことだ。指に力がこもりペシっとビールの缶が潰れた。飲み口から溢れたビールが手を濡らす。俺の手をじっと見つめる正嗣の目は妖しく光っていた。 手に垂れている液体を目で追いながら、わずかに唇が開く。無意識なのだろうか・・・どうしてそんな顔をするんだ、正嗣。 でも俺は何も言えなかった。喉がカラカラに乾いていたし、言葉を探すことができなかった。 「全部・・・知っている。最初から最後までトイレの中で全部聞いていたんだ。あの日から俺はおかしくなって美砂緒を抱けなくなった。俺達夫婦には結構深刻な出来事だった。そして・・・日曜の昼間、俺は正享に電話して、くだらないことを話した。もう覚えていないだろ?その声を聞きながら俺はギンギンになったんだよ、笑えるだろ。電話を切って寝室にいって自分でした。すごく気持ちよくて我を忘れて・・・そして見られたんだ、美砂緒に。」 「ま・・・まさか。お前はノーマルだろ?」 「ああ・・・そのはずだ。美砂緒のことは今でも愛している。正享は友達だと思っていた。それなのに、あのトイレで正享が男を抱いている声や音を聞いて・・・俺はおかしくなった。 どうしようもないんだ・・・助けてくれないか。」 「助けるって・・・。」 正嗣はベッドの端から床に立ち、そのままベルトを外し始めた。 「おい!何やってんだ!」 ビールをテーブルに叩きつけるように置いた反動で噴き出たビールがまたもや手を濡らす。 俺の静止を聞かず、正嗣はボトムをストンと足首まで落とした。 勢いよくボクサーショーツを押し上げている雄の印を認めて息が止まる。濡れた染みの面積が正嗣の言っている事が本当であることを証明していた。 「どうして・・・。」 「俺にもわからない。でももう無理なんだ。答えがないまま考え続けるのは嫌なんだ。友達の正享に俺は欲情していて止まらない。好きなのかもわからない、ただヤリたいだけなのかもしれない。なんで男相手にこんなに勃ってしまうのか・・・わからない。 だから…止めてくれないか。元に・・・もどしてくれないか。」 「本気・・・か?」 「ああ。」 挑むように向けられた視線に怒りが沸く。どこまで俺を振り回せば気が済むんだ!ああ、やってやるさ、ボロボロにしてやる。俺の想いの強さと積み重ねた年月を思い知ればいい。 「言っておくけど、俺はネコじゃないぞ。」 「・・・しってる。」 「そのまま、待ってろ。出掛ける。」 「ど・・どこに。」 「ドラックストアだ。男同士のセックスはな、女と違って準備がいるんだ。全部教えてやる。正気にもどれなくても知らないからな。いいのか?俺は容赦しないぞ。」 「いい・・・。」 「ルームキーをよこせ。」 「なんで・・・。」 「逃げ出されたら困るからな。ここで居なくなられたら、俺はお前をズタズタに殴り殺してしまいそうだから。」 指差されたデスクの上にあったルームキーを握り、そのまま部屋をでた。 エレベーターを待つ間、晃希の笑顔が浮かんで挫けそうになる。 『どっちにしてもはっきりするってことだよ。』 「くそっ!」 開いた扉の奥に足を踏み入れ目をつぶった。 自分の心に向き合い、すでに答えがでていることを知る。そして渦巻く腹立ちと悲しみ。 全部ぶつけてやる、俺の想いを捻じ込んでやる。

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