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第2話

「貴方が戻ってくる時の理由はいつも決まってますけれど、どうせ今日もまたそうなんでしょう?」  繋いでいた手枷を外し、疵になった場所に口づけを落とす。そしてそのままジェフリーの唇を奪う。伸びっぱなしになっていた髭は綺麗に剃り落とした。  ジェフリーはいつものように気怠げにそれを眺めながら、安いタバコを一服。煙を高い天井に向かって吐きだし、苦い笑みを作った。  ジェフリーは、商館ガルグイユの先代が気まぐれに手をつけたオメガ奴隷との間にできた子だ。15になってアルファだと判明した日に、商館ガルグイユを経営する一族の者として正式に引き取られた。  ガルグイユは王室にも贔屓にされるほどの大店だ。宝飾品から日用品、果てはオメガ奴隷まで、ありとあらゆるものを扱う。  ジェフリーは、優秀さにかけては数ヶ月だけ先に生まれた同じアルファのヴァージルに引けはとらなかった。むしろ根本的に何か欠けていたヴァージルなどよりも、よほど人間としてはまともだった。  先代がジェフリーを引き取った一年後に亡くなり、ヴァージルが16で継いだ後、当然周囲はジェフリーがヴァージルを補佐していくものだと思っていた。ヴァージル自身、そうだと疑ってもいなかった。  ヴァージルは自分とは対照的な弟を、何より愛しく思っていた。  しかし、ジェフリーは周囲の期待を裏切り、家を出た。  ジェフリーはずっと、街中の小さなアパートの一室を研究室と称して使っていた。用意したのはヴァージルだったが、それ以上ガルグイユの手は、一切入ってはいなかった。学者と称していたらしいが、実際の所なにを生業にしているのかは、ヴァージル自身も良くは知らない。ただ、近所の子供たちと路地裏で地べたに本を広げて、授業らしきもののまねごとをしていたという噂はあった。そこそこ、人気があったのだと言うことも、監視につけた者からの報告で知っていた。  ただ、そんなことで生活がたちゆくはずもない。ジェフリーがヴァージルの商館を訪れるのは、たいてい資金繰りがどうしようもなくなって、頼みの綱とばかり金を無心しに来る時だった。  そして、代わりのようにヴァージルの歪んだ愛情を受け入れる。 「仕方ありませんね。今度はいくらなんですか? まったく、差し上げると言うのに貸しにしろなどとおっしゃるから、そろそろただでは返せない額になっていますよ。いくらアルファだとはいえ、返せなければ貴方も奴隷に堕ちてしまいかねないんですから」 「いっそ奴隷になるのも、いいかもしれんね」  何を呑気なことを、と呆れつつ、もう一度ジェフリーを押し倒す。 「貴方がオメガであったら、今すぐうなじに噛み付いて、一生鎖に繋いで飼ってあげるんですけれどね」 「今だって俺に好き放題しているくせに、これ以上何を望むんだ、お前は」 「これでも手加減している方ですよ? 貴方を壊してしまったら、代わりなどいないのですから」  にこりと笑み、首筋に噛み跡をつける。壊すという言葉にジェフリーが表情を曇らせた。 「ヴァージル、お前まだオメガの調教だの、やってるのか?」 「大丈夫。最近は滅多に壊してはいませんよ。さすがに壊してばかりでは商品になりませんし」  くすりとヴァージルは笑うのみ。この問いもこの表情も、ヴァージルにとってはいつもの事でもあった。  ヴァージルには悪癖がある。加虐が過ぎて、商品を壊してしまうのだ。 「相変わらず、貴方は甘いのですね。オメガ奴隷など代わりはいくらでもいるじゃありませんか」 「甘いとかそういうことじゃなくってだな……」 「ああもう、やめませんか? せっかく久しぶりの兄弟水入らず。いつもと同じ議論じゃつまらないじゃありませんか。まあ、貴方のそういう頑固なところは好きですけどね」 「俺はお前のそういう性悪な所は嫌いだよ」  ジェフリーは、そうやって金を無心にきながらも、いつもヴァージルの行動に苦言を呈していくような男だった。飄々としていて胡散臭い。けれど、心の奥ではヴァージルには理解できない、人間味のあふれた熱い男だった。 「旦那様、――様の件について少しよろしいでしょうか」  執事が、分厚い扉の向こうからきっちり二つ、音を響かせる。 「そのようなこと、お前たちで処理しなさい」 「申し訳ございません。ですが――」  厳しく言い渡してもなお、引き下がる気配のない筆頭執事の声は、切羽詰まった様子だった。どうやら、部下たちではさばき切れない難題が降りかかったらしい。ため息をつけば、向かいでジェフリーが、琥珀で出来た灰皿でタバコの火をつぶしている。 「相変わらず忙しそうだな。俺はこれで失礼するよ」 「申し訳ありません。まったく、せっかく貴方が来てくれても奴隷たちに手を煩わされるのでは、ろくに話もできない」 「そう言うな。爺様は大事にしてやれよ。長く仕えてくれてんだから」 「はいはい。本当に、貴方のオメガに対する甘さには、いつもいつも頭が下がります」  ジェフリーが爺様と呼ぶのが、この商館の筆頭執事であるオメガの事だった。もともとジェフリーはオメガの母親から生まれたのだから、オメガに対して寛容であるのは仕方がないとは思っていたのだが、ヴァージルには、その寛容の度を超えた感情が、理解できなかった。  奴隷を打ち据えるために館の中では常に持ち歩く乗馬鞭を手に、ヴァージルは部屋を出ようとする。それにすら眉間を険しくするのだから、呆れてしまう。しかしそこで一つ、ヴァージルは思いついた。 「そうだ。貴方にオメガを一つ与えましょう」 「オメガ? 別に俺は……」 「聞きましたよ。貴方の家、荒れ放題だと言うではありませんか。不衛生で死なれても困りますし。性奴隷として扱うのが嫌だと言うなら家事でもさせればいい。抑制剤で資金難が増えるようでしたらまた私のところにくればいいでしょう?」  奴隷を使いたくはないと、常々ジェフリーは言っていた。しかし、あまりにも潔癖すぎるのはどうかと、ヴァージルは常々思っていた。だからいっそ、押しつけてしまえば、彼も使う側の人間として、少しは自覚してくれるのではないか。そう、ヴァージルは考えたのだ。  ヴァージルは次に会った時、ジェフリーがどのように変わっているか思い描いた。

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