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アンコール

 アンコールを催促されている。マスクをしていたけれど、人だかりも今目の前にいる人物が萼であることに気づいたらしい。声が黄色い。  彼は笑顔で首を横に振る。 「聴いてくれてどうもありがとう。……ところで、俺と顔のよく似た兄弟を探しているんだ」  しばらくはこの街にいるから探して、どうか。……連れてきて。  細められた瞳に街灯の優しいオレンジ色が艶っぽく煌めいていた。死にかけの流れ星のような光で、その侘しい余韻をきっとそこにいる誰もが感じたに違いない。  それにしてもなかなかに謎めいた言葉だった。彼に兄弟がいないことは公表されている。だったら兄弟のように親しい人ってことなのだろうか。それなのに、顔のよく似た、とは一体どういうことだろう? そもそもなんでここにいる? そんなどよめきを感じた。  彼はその困惑すらも楽しむようにしずるような笑みを零している。昔と変わらないな、その笑顔は。なにか悪戯やちょっと意地悪なことを思いついた時の顔だ。  俺は俺で呆然とその光景を見ていた。2年ぶりに目にして思うことは、やっぱり圧倒的だってことだ。俺と萼の境界線は、もう易々と超えることのできない高さになっている。すぐ隣にいたはずなのに、今では全然届きそうもない。  彼を評価する人間はきっと星の数ほどいるだろう。俺は一番近くで彼の輝きを目にしていながら、今ではもう星の数ほどいる人間のたった一粒の星屑にしかなれない。  肩を並べたかったと思うのは傲慢だろうか。いつまでも隣にいたかったと思うのはおかしいだろうか。  おかしいよな。怖かったんだ。お前にまで見放されることが。  だから逃げてきた。  それだけじゃない。  一番の理由は。  なあ。 「この街にいるの?」  オーディエンスの声。  萼は頷く。 「きっとね。だってここは、海が綺麗な街だから」  自分がΩだと分かってから、俺は、感じたことのない感情をお前に感じてしまって、細胞の一つ一つが叫ぶように熱を持つんだ。 「彼は海が好きなんだ。海というか、くじら。彼はくじらなんだ」  俺の脳の真ん中のさらに奥から、俺じゃないような俺の声が身体を支配するんだ。  萼が欲しいって。  俺はお前の輝かしい未来をめちゃくちゃにしてしまいそうで逃げたんだ。  Ωだってバレるのも怖くて、俺の不条理な下心で嫌悪されることが嫌で。  俺は海まで逃げてきたのに。 「それになんだか今度こそは、本当にいそうな気がするんだ」  どうして追ってくるんだよ。  

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