13 / 65
52
『52ってくじらを知っている?』
小学生の頃、一緒に海に行った時萼が言った。
多分俺が麦わら帽子にくじらの飾りをつけていたから言ったんだと思う。
『知らない』
『世界一孤独なくじらなんだよ』
『そうなんだ』
『くじらって歌って会話するんだよ』
海のさざ波が耳に恋しい。俺はくじらの姿を探すように青い海を見晴るかしたけど海しか見えない。海は広いな、大きい。くじらってもっともっと遠くにいるのかな。
『でも52の歌は誰にも届かないの』
『どうして』
『聞こえないから。どのくじらにも聞き取れないから』
じゃあそのくじらはこんなに広い海を、誰にも届かない歌を歌いながら、永遠に一頭で泳ぎ続けているんだろうか。
どんな気分なんだろう。
きっとそう。こんな気分。
『じゃあ俺が歌ってあげる』
俺はムキになって萼に言った。別に彼がそのくじらを孤独にさせたわけではないのに、なぜかムキになっていた。
『そのくじらに届くように歌う』
そしたらきっと寂しくない。萼は笑う。
『それなら俺は、ずっとずっと聞いてるね』
あーちゃんの声とユニゾンしたら、きっと綺麗な音になりそう。
綺麗な音かな。
俺は歌うよりも、もう……。
こんなに長い時間を一人で泳ぎ続けるくらいなら。誰にも届かない歌を歌うくらいなら。海の底に沈んで二度と浮き上がらないでいたい。
気ままに屈折する太陽の光と、漏れる空気の泡と、魚たちの陰翳を、閉じない淀んだ瞳に映し出していたい。水圧で歪んでしまいたい。
ともだちにシェアしよう!