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ほんとうるさい
何時かは知らないけれど世界は昼間だった。息苦しいな。家に帰ろう。荷物をまとめて消えよう。ギターケースを片手に持って足早に歩いていたら、突然知らない誰かに引き止められた。
すみません、という声に振り返ったら随分高そうなスーツを着ている男の人がいた。働き盛りって感じの容姿で、俺より10歳くらい離れているような気がする。
目を惹く容姿をしている。顔立ちは整っているし、身なりも小綺麗で上品だ。鞄も靴もぴかぴか。靴は大事だよな。自分の靴を見てから言えって自分でも思うけど。
彼は少し興奮した様子で俺のことを見ていた。叩かれた肩から彼の手が離れていかない。がっしり掴まれている。
こういうことは何度かあった。
だいたい次に来るセリフはこうだ。
『歌手の萼さんですよね?』
ほんとうるさい。
萼じゃないです、って言ってやろうかな。サインも書かねえし歌も歌わねえよ。もう。やめてくれよ。俺は萼じゃない。やめて欲しい。もうやめて欲しい。今だけは本当にやめて。泣きそうになるから。いいのかよ、泣くぞ。泣くぞばーか。
……泣きそうだよ。
「よかったらコーヒーでもどうかな?」
全く予想だにしていない言葉に真の抜けた顔をしてしまった。マスクで隠れているから分からないとは思うけど。ぽかんとして隙ができた瞬間、彼の手は肩から滑り落ちて俺の腕を掴んだ。
答えを言いあぐねていたら、彼は問答無用で俺の腕を引いて歩き始める。
「これからなにか用事でもある?」
なんでお前にそんなこと言わなきゃねえんだよ。やさぐれてんだよ俺は。てか離せよ。痛えな。声に出して言いたいけど喋ることに臆病になっているせいかなかなか言葉が出てこない。
気づいたら路地裏に連れ込まれて距離を詰められていた。
なに?
脇腹に男の手が滑っていく。
「ちょ、っと……」
逃げようとしたら頭を掴まれてビルの壁に押し付けられた。頬骨の辺りが勢いよくぶつかって凄く痛い。もがくと摩擦で皮が禿げるような痛みが伴った。
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