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俺の小さな世界
俺の小さな世界は、毎日怒る母親と、ずっと帰ってこない父親と、大嫌いな習いごとと、萼でできていた。
習いごとが辛くて泣いていると萼がいつも慰めてくれた。
αなんだからできて当たり前だという呪縛に殺されそうになっていた。俺はなにもできなかったから。母親はもちろん俺を叱責したし、感情を失うほど罵倒した。習い事の先生にもため息を吐かれてばかり。特にピアノ。ピアノが大嫌いだった。鳴らす鍵を間違えると手の甲を叩かれた。それが痛くて怖くて嫌だった。なんで、どうしてできないの、という突き刺さる言葉を思い出すと今でも胸が苦しい。逆に俺が聞きたいんだよ。
αが華やかなのってきっと才能だけじゃない。だって寝る間も惜しんで努力している。その努力がいとも容易く実を結んで開花するのがαの才能。
随分悲しい。
ピアノが嫌いな俺にギターを教えてくれたのは他の誰でもない、萼だった。萼はこの時からもうすでに俺の中の砦であり、癒しであり、生きる全てだった。
なにひとつ上手にできない俺をそれでも大切だと言ってくれた彼がいなかったら、俺はとっくに死んでいる。
そんな彼にまで失望されたら、俺は本当にどうしていいか分からない。
逃げてしまえば、俺の中の彼はずっと俺に笑ってくれている時のままだから。そのまま永遠に俺を大切に思ってくれる彼だから。
思い出の中を生きるのは、現実で絶望するよりずっといい。
そうきっと、ずっといい。
目を開けたら知らない部屋にいた。どこだ? と思って勢いよく上体を起こした。困惑と恐怖で心臓がばくばく言っている。
めちゃくちゃ広い。なんだここ。薄暗いし人の気配がない。死んだように音がしない。落ち着いてよくよく目を凝らしたら、なんてことはない、いつものBARの客席のソファーに横になっているだけだった。
なんでここにいる?
俺はよくよく前後を思い出そうと思ったけれど、真っ先に探したのはギターケースだ。俺のギターケース。飛び起きて周囲を散策したら、ソファの裏に置いてあった。
とりあえずほっと胸を撫で下ろす。ゆっくり起き上がって、ブーツも履かないでケースを掴んで蓋を開けた。俺のギターがちゃんと無傷で入ってる。銀色のくじらもそこにいる。
胸に温かい気持ちがぶわ、と溢れ出て、俺はソファーの上でギターを抱きしめた。
萼の匂いがする。
それで全部を思い出した。
匂いって酷い。思い出を呼び起こすのに、一番刺激的な感覚だ。
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