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卯姫子はあーちゃんを殺せない
腰が痛いとか歩けないとかもはやそういう問題ではないのだ。
迎えにいかなきゃ。
俺は萼のことを半分忘れながら身支度を整える。スウェットを脱いで余所行きの服を着て、ついでに紙袋からレタスとトマトが挟まっているサンドイッチをつまんで一欠片食べた。いとフレッシュ。もぐもぐしたらチーズの味もした。
「胃がびっくりしても知らないよ」
萼がやれやれって顔で俺に言う。
「大丈夫200回噛む」
「そういう問題じゃない」
凱虎によれば取り乱して半狂乱になっている卯姫子がBARに乗り込んできたらしい、俺に用がある、と。そして俺の大事なものを……ギターを押収した。捕虜という感じだ。俺はまんまと誘き寄せられている。てかマスターはどうしたマスターは。仮にも預かってるんだから奪われないでくれよ。
卯姫子と会うことは少し不安だった。
俺のことを悪く言われるのは全然構わないんだけど、萼のことを悪く言われるのは耐えられない。
「俺、卯姫子に殺されるかもしれない」
覚束ない手つきでスニーカーを履きながら呟いた。
萼はそんなわけない、と言って笑う。
「卯姫子があーちゃんを殺すはずない」
「なんでそんな自信満々なんだよ。俺は卯姫子に酷いことしかしてないし、彼女の中で印象最悪だろ」
「ないない。どうしてそんなふうに思うの?」
「いや俺が逆に聞きたいよなんでそんなポジティブなんだよ」
「卯姫子はあーちゃんを殺せないよ」
それはあれか、世間体とかそういう抑止力によってか? 分からんぞ、人はなにをするか分からない。人生もどう転がるのか分からない。
もしかしたらギターも破壊されているかもしれない、と嫌な汗が流れる。
気持ちは焦っているのに、体が思うように動かない。
萼に支えられながらBARに行くと、客のいない店の中でいつものようにタバコを吹かしているマスターと、見ただけでも苛立っている卯姫子がステージの段差に足を組んで座っていた。壇上の下には凱虎がいて、なにやら口論をしているらしかった。
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