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全部!

 マスターは俺を認めるなり、あら、と俺に向かって手を上げる。俺の隣の萼を見て、にこ、と笑った。  なにも言ってないけど上手く行ってよかったわね、と表情が言っている。  その節はどうもありがとうございますですが俺のギターはどこだよ。あんた預かってる立場だろうが。なんで横取りされてんだよ。めっちゃのんきじゃん。少しは悪びれろ。いやすいませんちょっと言ってみたかっただけです。 「悪いこと言わないから降りなよ」  凱虎が卯姫子を見上げて言っている。いや、と彼女は言った。 「美しければ大抵なんでも許される、そうよね」 「はいそうです! いや違う違う」  ……凱虎、頑張れお前。  よくよく目を凝らしたら、卯姫子が座っているのはステージじゃなくて俺のギターケースだった。さあ、と血の気が引いた。 「美人でもやっていいことと悪いことがあるぞ」 「あんたには関係ないでしょ」 「あるよ、それすげー大切にしてたから、アイツが。楽器っていう以上に大切にしていた、多分特別なものなんだよ、知らんけど」  その言葉は彼女の苛立ちに油を注いだみたいだった。  彼女は必要最低限の動きで音もなく立ち上がると、ギターケースを開けた。彼女が中に入っているギターに手を伸ばす。ヘッドの銀のくじらが照明にキラリと光った。  彼女はネックを鷲掴みにしてそれを高く掲げる。彼女の細腕じゃ安定感がない。  落ちる! 「やめて!」  考えるよりも先に声が出ていた。  彼女が俺の方を向く。 「壊さないで!」  卯姫子は、憎悪に飲み込まれたような表情をしていた。  この顔をさせてしまっているのは俺のせいだ。 「だったら萼を寄越してよ、できないなら壊す」 「俺は物じゃないんだけど」  横で萼が軽い調子で言った。 「私のどこがいけないの? なんで莇なの?」 「卯姫子は魅力的だけど、俺が好きなのはあざみなんだ」 「この出来損ないのどこがいいのよ!」  彼は照れたように笑う。 「全部!」  やめろって、と俺は彼に耳打ちする。でも本当のことだから、と彼は頑なだった。  

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