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浴室から出てきた佐伯さんを見て、オレは腰かけていたベッドからすくっと立ち上がった。セットされていた髪型が崩れ、よりカジュアルな雰囲気になった佐伯さんはまっすぐオレの前までやってきた。
「何? どうしたの? 緊張してる?」
佐伯さんの指がオレの頬に触れる。その感触になぜか背筋をゾクっとした悪寒が走り抜けた。
「え、あ、はい……」
オレは今更ながら実感した。奏ちゃん以外の男に抱かれるということを。
「大丈夫だよ? 優しくする」
佐伯さんの唇が近づいてくる。オレはギュッと目を瞑った。
心臓がドッキドキしてるのに、頭の芯はどこか冷静。なんだこの気持ち。佐伯さんみたいな優しい男と寝るのがオレの理想じゃないか。これでいいんだ。オレは優しい男に抱かれるんだ。もう奏ちゃんとは会わないって決めたんだし。あんな男、早く忘れるんだ!
そう決意した瞬間、オレは佐伯さんの唇を割って自ら舌を差し入れていた。
***
『ヤりたいから今すぐ来い』
講義が終わり、オレは教科書やノートを片付ける手を止めて、奏ちゃんからきたメール画面を読んでいた。
「それって、井上が今付き合ってる男から?」
「なっ、斎藤、覗くなよ!」
慌てて携帯電話を閉じる。
外は雨。きっと、現場での仕事が早く終わったんだ。
「すまん、でもおまえ、それってどうなの? 好きな奴に言うセリフか?」
斎藤はまだ板書をしながら、呆れたような声を出した。
「ち、違うんだ、奏ちゃんの愛情表現は変わってるんだ」
オレは自分自身にも言い聞かせるようにそう言って、下唇を噛み締めた。
「まあ、おまえがいいんならいいけどさ。もう子供じゃないんだし」
黒板に目を向けたままの斎藤に何も応えず、オレは急いで机の上を片付けるとリュックを肩にかけた。
「じゃ、斎藤、オレ先帰るから」
「おう、また来週な」
朝方から降り出した雨は激しさを増していた。遠くに雷の音も聞こえる。だけどオレは持っていた傘も差さずに校舎から飛び出した。雨の滴がバチバチと頬に当たる。
『好きな奴に言うセリフか?』
頭の中で斎藤の言った言葉が何度も何度も蘇る。
……だって、奏ちゃんはオレのこと好きじゃないんだし。当たり前じゃん。
オレは込み上げてくるものをぐっと堪えるようにもう一度下唇を噛んだ。痛いほど噛み締めたけど、胸の痛みのほうが勝ってくる。
「はあ、はあ、はあ……っ」
洋服に雨が浸み込み、ずんずん重くなっていった。髪の毛から水滴が流れ落ち、前が見辛くなる。それでも走り続ける。息が上がる。それでも走り続ける。
オレの足は結局、いつものラブホに向かっていた。
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