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「あ? 怒ってねーし」 オレは航から視線を逸らしつつ、首筋を掻いた。 「……今日はオレのしてぇことより、おまえのしてぇこと、してやるよ」 顔を背けたまま、ぼそりとそう言ってやる。すると、航はキョトンとした目でオレの顔を見上げた。 「え……? ほ、ほんと?」 「ああ」 「ほんとに? なんでもいいの!?」 ガバリと布団を捲って起き上がる。 「ああ。だからおまえ、寝とけって」 興奮気味の航の肩を足で押しやって、布団に戻す。航はしばらくうんうんと楽しそうに何やら考えていたが、パアッと顔を輝かせた。 「えっとね、だったら、あのね……、奏ちゃん、オレ、リンゴ食べたい!」 「リンゴ……?」 「うん、擦ったやつ。昔、風邪ひいたときに母さんがよく食べさせてくれたんだ」 子供の頃を思い出しているのか、航は微かにはにかんだ笑みを見せた。 「……そうか」 やっぱりこいつは、親に大切に育てられてきたんだな……。 そう思うと、オレみたいな人間が傍にいるのは申し訳ない気持ちになる。だけど同時に、オレにできることなら何でもやってやりたいって気持ちにもなる。 「わかった。じゃ、オレん家にはリンゴなんてねぇから今から、買ってくるわ」 そう言って航に背を向け、玄関へと向かう。 「ちょっと待って! 奏ちゃん!」 「なんだ?」 航の焦った声に振り返った。 「その……、出かける前にもしてほしいことがあるんだ」 「なんだ、言ってみろ」 「えっとね……、ちゅ……」 そこでなぜか航は布団を引き摺り上げ、自分の顔を恥ずかしげに半分隠してしまったので、よく聞き取れなかった。 「へ?」 「ちゅー。奏ちゃんが、ちゅーしてくれたらすぐ治る気がする!」 「……バカか、てめぇ」 オレは呆れ果てた眼差しで航を一瞥すると、さっさとまた玄関へと向かう。 「え、待ってよ! なんでもするって言ったじゃん!」 けれど非難めいた涙声が追いかけてきて、オレはイライラと頭を掻きながら振り返った。 「くっそ」 ずかずか歩いてベッドの傍まで戻る。 「じゃあ、顔出せ」 「やった!」 航はウキウキと掛け布団をずらした。そして目を瞑り、顎を僅かに上げる。赤く色づいたふっくらとした唇がキュッと引き結ばれた。だが眉間には皺が寄り、長い睫毛の先は小刻みに震えている。 こいつ、自分からしろって言っておきながら、なんでこんなに緊張してんだ? 込み上げてくる笑いを押し殺しながら、オレは腰を屈めて航の顔に近づく。

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