17 / 98

2‐6

「そんなこと俺は知らないっすよ! とりあえず、会社でまで泣かないでください!」 正体がバレたのかも、なんて心配した自分自身に怒りすら覚える。 「ご、ごめん。こんなこと相談できるの、君しかいなくて」 課長は俺のハンカチで目元を拭うと、涙を堪えるために俯いて下唇を噛んだ。 どうしてこの人は……!  ってか、いつの間にか俺、相談相手にされてるし! 「はあああ」  呆れた溜息を吐いて、東海林課長に向き直った。 「課長、今夜、予定あります?」 「へ?」 潤んだ瞳で俺を見上げた課長が間抜けな声を出す。 「もうイワオさんのメールがどうのなんて忘れて、今夜は俺と飯でも食いに行きましょうよ」 「え、でも……」 「駅前に八時。いいですね? 俺、待ってますから」 一方的に告げると、俺は課長の手元から涙で濡れたハンカチを奪い取った。 この人にイワオさんのことを考える時間を与えちゃダメだ。 「さ、笹川君っ!」  背後から東海林課長の困惑した声が聞こえてきたけど、俺は湿ったハンカチを握り締めながら、一度も振り返らずに喫煙室を歩き去った。      * 「課長は酒、呑めるんすか?」 居酒屋の座敷で、俺は手元のメニュー表を見ながら、向かいに座っている東海林課長に訊ねた。 「た、嗜む程度は……」 正座した課長はメニュー表で顔の下半分を覆い隠しながら、おどおどとした上目遣いでこちらを見ている。 何警戒してんだ、この人……。 「じゃ、俺ビール。課長は?」 「じゃあ僕も」 「すんません、生二杯!」 声を張り上げるとすぐに店員の元気な声が返ってきた。 カウンターと座敷に二席あるだけのこの小さな居酒屋は、表のみすぼらしい店構えとは裏腹に満席だった。年季の入った変色した壁には、『ニラ玉』だとか『豚足』だとか書かれた紙がいくつも貼り付けられている。 飛び込みで入った店だけど、男ふたりなんだし、気取った店じゃなくてもいいよな。 俺はカウンター上部の黒板に書かれた今日のおススメを見ながら、「なんか好き嫌いありますか?」と課長に問う。 「え、いや、特にないよ」 挙動不審な東海林課長を尻目に俺は適当に食い物も頼むと、運ばれてきたビールで無理やり乾杯をした。

ともだちにシェアしよう!