82 / 98

夏2

僕は大学進学を機に実家を出てから、数えるほどしか帰省していない。それも祖父の葬儀など、不可避な事情の場合のみだ。 窓から離れると、僕はエプロンを付けて掃除機をかけ始めた。 中等部時代から続いた僕への嫌がらせはそのまま高等部へと持ち上がり、卒業まで終わることはなかった。大学では最初から、誰にも心を開かなかった。 永遠にも感じられる苦痛に満ちた学生生活を、僕は勉強をして自分を向上させることだけに心を傾けて過ごした。 だけど、大人になった今ならわかるんだ。 小さな水槽に閉じ込められた僕たちは、大人になるための階段を無理やり上らせられ、いつも行き場のない憤りを抱えていた。そしてそれをぶつける矛先を常に探していた……。 けれど決して解けない固く縛られた結び目が、今でも僕の心の奥で存在を主張する。 高等部に進学して間もないある日、学校に行っている間に僕の部屋を掃除した母親に、クラスメイトが悪口雑言を書きつけた教科書を発見されたのだ。 「これはどういうことなの!? まさかあなた、いじめにでも遭っているの?」 そう詰め寄られても、僕はただ俯くことしかできなかった。 家族にだけは絶対に知られたくなかった。 父は上場企業の重役を務めていて、母は旧家の出自を誇る人だった。そんな両親に学校で誰にも必要とされず、うまく生きていくことのできない恥ずかしい自分を知られることが怖かった。 しかもそこには僕が同性愛者であることを示す、端的な言葉も書かれていた。 母はそれを見て、目を吊り上げた。 「しかもこんな嘘まで! 優秀な子供たちが集う学校なのに、一体どういうつもりなのかしら! こんな酷い中傷、お父様に相談して、学校に抗議していただくわ」 母は僕の肩に手を置き、微笑んだ。 「あなたは何も悪くないわ。安心なさい」 「お母……さん……」 僕は思ってもみなかったその優しい言葉に、一筋の光を見出した。 もがいてももがいても抜け出せない苦しい暗闇の中、その光にすべてを受け入れられ、許されたかった。 僕は、母に一縷の望みをかけたんだ。 「嘘……、じゃないんだ」 俯いたまま、ごくりと唾液を飲み下した。 「お母さん、僕、男の子が、好きなんだ」 一言一言、心を削る想いでそう告げて、思い切って顔を上げた。 しかし、そこにあったのは光ではなかった。 僕をさらに暗闇に陥れる、嫌悪の眼差ししか、なかった。 僕にはもう、逃げ場なんてどこにもなかった。そして誰からも疎まれる自分自身が、嫌いで仕方なかった。 その後、僕が実家から遠く離れた大学を受験することに、家族からは何の反対も出なかった。

ともだちにシェアしよう!