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秋6
「ああ。君は、プレゼントはあの恰好でいいと言ったが、僕はずっと、スーツをプレゼントしたいと考えていたんだ」
「え、ど、どうして、そんな。俺は本当に裸エプロンで充分っすよ?」
戸惑いつつも僕を気遣う笹川君に、身体を向けてその瞳を見つめた。
「いや、君は営業職だから、スーツはたくさん持っているに越したことはないだろ? それに君は以前、僕に聞いてきたじゃないか。スーツはどこで買ってますか? って」
「え、ああ。それは、えーっと」
笹川君は首筋を掻きながら、何故か視線を揺らした。
「初めて君と映画を観に行ったあの日、僕は君と話したことはすべて覚えているよ」
「え……、マジっすか……」
僕の告白に笹川君の瞳が文字通り、丸くなった。
「君が誘ってくれて、とても、嬉しかったんだ。それに君は迷子になりそうな僕の手を繋いでくれたよね」
「え、ええ」
笹川君はふっと恥ずかしげに目元を緩めると、照れくさそうに頭を掻いた。
「この家に初めて入れてもらったのも、あの日ですね」
「でも、僕は君を怒らせてしまって」
「そうでしたね」
笹川君が苦笑いする。
「そして、君は口をきいてくれなくなって……」
笹川君ともう話すことができなくなるのかと思うと、僕は何故か怖くて怖くて堪らなくなった。だから居ても立っても居られなくなって、家にまで押しかけてしまったんだ。
「あの時は、すんませんでした」
笹川君が申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
「いや、悪いのは僕だ。君には本当に……」
言いかけて、喉の奥にじりじりとした塊が込み上げてきてしまった。
笹川君は、僕に気づかせてくれた。
僕が孤独の苦しみを欺瞞と依存で誤魔化していることに。
自分の笹川君への気持ちにも、胸の痛みにも向き合うことすらせずに、目を背け続けていることに。
けれど僕は突きつけられた現実から逃げ出すことしかできずに、笹川君を傷つけたんだ。
あの時の想いが蘇り、浮かんできた涙がポロリと頬を伝う。涙のせいか、風邪のせいか、頭がぼうっとしてきた。
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