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28.
週明け、職場に行くとすぐに髪の毛を切ったことに気付かれた。今までくくれるほどに伸ばしっぱなしだったから気付かれないはずないんだけど。
「伊藤くん髪切ったの?短いのも似合うね」
「ありがとうございます。鈴木さんって、美容室行く暇ありますか?」
「ないない。けど行く。そのために夜中まで働くんだもん」
力いっぱい話してるけど、そんなの堂々ということじゃない。自ら社畜宣言をする鈴木さんを前にそう思うけど、本当にそうでもしなきゃ自分の時間なんて持てない。改めて自分の職場が真っ黒だと感じた。
月曜日の部署内ミーティングを済ませ、各々仕事に取り掛かった。
俺の出張が来週に迫っていて、技術部ではせわしなく毎日が過ぎていく。その中で家に帰るとおかえりと言ってくれる人がいる幸せを俺は噛み締めていた。
出張まではあっという間だった。出張当日、朝起きていつもより豪華な朝ごはんに首傾げる。
「誕生日だろ」
「ゔぅ、おにーざんありがどお」
「夜も今夜は待っててやるから」
「おにーざん、だいずぎ」
泣きなら食べた朝ごはんの味は分からないけど、すごく優しかった。おにーさんは出張の日が誕生日だってちゃんと覚えていてくれた。おにーさんにとってはなんとなくしたことでもすごく嬉しくて、1週間の疲れがたまっているはずなのにものすごく元気に家を出ることができた。
2時間ちょっと電車に揺られ、3ヶ月ぶりに来た大学は全然変わってなくて、多くの学生で賑わっている。お昼は久し振りに大好きだった定食を食べようなんて思って研究室に向かう。慣れた足取りで進み、つい今までのように研究室に入ってしまった。
「教授ー!おはようございます!」
「………伊藤、一応出張だろ」
「あ、すみません。Zコーポレーションの伊藤誠です。本日はよろしくお願いします。教授、コーヒー!砂糖たっぷりでお願いします。どのお菓子食べていいですか?」
「………出張だろ!」
「このゼリー、後で食べるから冷やしてていいですか?」
「お前なにしに来たんだよ」
「出張ですよ、ちゃんとサンプル持ってます。でも、とりあえずコーヒーください」
「ああもう!ちょっとは成長したかと思えば変わらないじゃないか」
そんな3ヶ月くらいで人は大きく変わんないよ、教授。
ここに来たらまずは飲み物。いつも飲んでた砂糖たっぷりコーヒーを貰ったけど、美味しかったはずなのにおにーさんが淹れてくれるカフェオレの方が美味しい。
ねだった割に不満げな顔する俺をひと睨みした教授ににっこり笑いかけて、仕事の話を持ち出した。
しばらく教授と研究室に篭り、いい時間になったところでお昼を食べて来いと言われ食堂に向かった。
「伊藤先輩?」
「久しぶり、元気?」
「え、元気ですけど。え、まじで伊藤先輩?」
「そうだよぉ、幽霊じゃないよ」
「浮気したってほんとですか!?」
「する暇あるなら寝かせて欲しいくらい」
「してないんですか?」
「してない」
その返事にほっとしたように見えた後輩と話していると、元カノと仲のいい女の子達の中で俺は浮気したやつと思われているとみて間違いない。会わないほうがいいですよなんて言われたけど俺から会うつもりはないというと未練ないんですか?と聞かれた。
むしろ何で未練があるの?
いくら話をしても一方的に浮気したと決めつけて振られて。不安にさせるたびにいちいちフォローするなんて、ただでさえない時間を削るなんて、俺にはできない。
「先輩、ほんと痩せましたよね。何キロ減りました?」
「7キロ」
「やっば。俺、先輩の会社受けるだけ受けてるんですけどやめようかな」
「大学の先輩としてはやめておけって言うけど、職場の人間としてなら是非入社して」
「………闇が深そう」
「ブラックよりも真っ黒だから。俺の部署以外ならこんなことならないはずだよ」
「………」
「まあ、牧くんなら俺んとこくると思うけど」
去年までの俺に変わり、今教授の下で1番使えるであろう人材はこの牧くん。そんな人材だから、働いてる身としては欲しいけれど、先輩としてならもっとまともな企業で働いて欲しい。複雑な心境だ。
そうして牧くんの就職活動の話を聞きながらお昼休みを過ごし、俺は研究室に、牧くんは授業に戻っていった。
午後からのデータ採りも順調に進み、思ったよりも早く終わらせることができた。こらなら家に6時過ぎに着けるかも!と俺は喜ぶ。おにーさんはきっと夜ご飯も俺の好物(と言ってもおにーさんが作ってくれるものは何でも美味しい)を作ってくれる。
教授には挨拶をして、校舎を出る。
おにーさんに今から帰るよとメッセージを入れて、駅に向かう。元カノに会うかもって思ってたけど、会うことはなかった。広い校舎、いろんな授業があるから会わなくも不思議は無いのに、終わってみるまで全然そのことに気づかなかった。
これからもたまにここに来ることになるけど、そんなに気を重くしなくていいんだなあと思えた。
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