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105.
翌日は実家から大学への通い慣れた道で大学に着く。学生課で必要な手続きをして研究室に向かうと俺が送りつけた荷物を教授が開けているところだった。
「おはようございます」
「おはよう。伊藤、荷物はもうちょっと整理してから送ってこい」
「ああ!やめて教授!上から順に測りたいの!訳もあるからそのまま置いといて!」
「?それならメモくらい入れてくれ」
教授が荷物を漁る手を止めてくれて、俺はほっと息をつく。大きさも形もバラバラなものが積み上げられているけど、やったことが同じになるように纏めて送ったのでそのままにしておいてもらったほうがいい。何でどんな差が出るのか、もちろん出ないに越したことはないんだけど。
調べる順に荷物を出しながら、教授と予定の確認をする。大学では4年生の卒研発表が近いようで、ゼミ生が出入りするかもと言われて俺が一瞬止まった。
「伊藤、お前が誰と付き合って誰と浮気しようが何も言うつもりはないけど、研究室に持ち込むなよ」
「浮気なんてしてませんって!教授までそんなこと言うの!?酷い!お詫びにコーヒー淹れて!砂糖たっぷり!」
「全然酷いって思ってないだろ」
うん、別に思ってない。
教授は人からの話を鵜呑みにするタイプじゃないし、ゼミ生の恋愛に口を出す人でもない。強いて言うことがあるとしたら、研究室に痴情のもつれを持ち込むなってことくらいだ。
だから教授は改めて持ち込むなよと念を押しただけにすぎないのはわかってるけど、俺はちゃっかり飲み物をねだる。そうこうしてるうちに機器の準備が完了して、無駄口を叩かずに作業に集中した。
気づけば研究室は数人のゼミ生が来ていて、教授は俺じゃなくてゼミ生に付きっきりになっていた。一応、俺は来客扱いで機器の使い方とかを教授が見とかなきゃいけないはずなんだけどなあ。
「教授、俺キリいいんで昼行ってきていいですか?」
「いいぞ。昼は13時からな」
「はあい」
少し早い11時半から昼休憩。お昼の休憩が1時間半。朝は家を出たのですら8時過ぎで、出勤(?)は9時。退勤(?)は予定では17時半。測定の状況次第で多少前後するけど、普段よりもよっぽどゆとりのあるスケジュールに涙が出そうだった。
「そうだ、いと…………なんて顔してるんだ?」
「教授ぅ、俺、ほんとに昼休憩行っていいの?13時まで?1時間半も休憩していいの?ほんとに?」
「当たり前だろ。何を言ってるんだ?」
「はっ!もしかしてその分今夜帰れないくらい忙しいとかない!?午前様になるなら母さんに寝ててって言わなきゃ!」
「なるわけないだろ。お前どうしたんだ?」
俺の中に根付いた社畜根性がこのゆとりあるホワイトな状況について行けなかった。そんな俺を不気味がった教授に半ば追い出されるように昼休憩に行かされ、俺は後ろめたい気持ちで研究室を後にした。
おかしい。おかしい。今日は月曜日で俺は仕事をしてるはずなのにこんなに休憩があるなんておかしい。しかも終了予定時刻が17時半とかありえない。
社畜がこんな環境で働いていいはずがない。
不安になって、スマホを取り出しておにーさんにメッセージを送った。
『お昼休憩、1時間半もある。怖い。』
返事は特に期待してなかったのに、すぐに返事が来た。
『夜遅くなりそうなのか?』
『17時半終了予定。俺、夢見てる?』
『現実だろ』
どうやらこれは現実らしい。
ほんとに?おにーさんと意味のない(どうでもいい)メッセージのやり取りだってしたことないのに、ほんとに現実?
だめだ、俺、環境が変わりすぎてついていけてない。
そうこうしているうちに着いた食堂で頬を抓ってみたけど、普通に痛かった。
昔は毎日のように来ていた食堂で大好きだったメニューを食べて今日の予定を考える。この後測定したいものとおおよその時間を考えると、やっぱりどう考えて17時過ぎには終わる。もしかして俺持ってくるサンプル少なすぎた?いやいや、ちゃんと必要分確認して送ったはずだし……。無理だ、おかしい。
机に顔を伏せたつもりが思ったより勢いがあって痛かった。痛いってことはやっぱり現実………?
そうして机の上で首を傾げていると視界に見知った人物が入って来た。
「伊藤先輩?」
「久しぶりだね、牧くん」
「何してるんですか?」
「昼休憩が1時間半もあって」
「はい?」
「午後からも17時過ぎには測定が終わりそうで帰れるんだよね」
「はい」
「…………こんなの俺じゃない。おかしいよ?大丈夫?真っ白だよ、真っ白!オフホワイト!おかしい、俺は真っ黒なところで働いてなきゃいけないはずなのにこの環境ってなに!?もしかして出張終わったらまた毎日午前様?これ以上痩せたくないよお!」
ゆっくり話していたはずなのに、いつの間にか早口でまくし立てる俺。牧くんはキョトンと俺を見て、ものすごく残念な子を見る顔になってしまった。
俺の前の席に座った牧くんは、社畜が身に付いてますねって言った。うん、そぉなの。こういう普通な労働環境が怖くて怖くて仕方ない。絶対後で死ぬほど忙しいやつじゃん。
「牧くんはなにしてるの?」
「卒研発表の最終、かく、にん………」
「どうしたの?」
「俺、発表とか苦手で、胃がキリキリします」
「本番までまだあるのに?」
「はい、俺、就活の面接も胃が雑巾絞りされてる気分でした……」
「そぉいえばうちの会社どうなったの?」
「無事落ちました」
「それ無事なの?」
「俺、先輩みたいに社畜になってまで働きたくないです」
それ言われると、言い返す言葉が何もなかった。
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