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109.
なかなか起動しない彩綾を置いて、飲み物を買ってのんびり飲んでいるとようやく彩綾が口を開いた。
「男の、人?」
「うん」
「男性?」
「うん」
「付いてる人?」
「ふお!?なにが!?あ、いや言わないで!!」
混乱の極みにいるらしい彩綾は言葉を変えて何度も男の人と言うところを確認する。
「誠って、そう言う人だったっけ?」
「さあ。1年前は問題なく彩綾と付き合っててそういうこともしてたと思うけど」
「あ、そっか。そうだった」
俺との関係まですっぽ抜けるほどに混乱してるらしい彩綾。落ち着いてと買っておいたココアを渡すとありがとうと言って蓋も開けずに口をつけて飲めないって言ってたから、これは相当頭が回っていないなあと思う。
「俺、明日までしかこっち居ないけど改める?」
「そう、だね。今私混乱が乱れてて」
混乱って溢れるものであって乱れるものではなかったと思う。そもそも混乱って言葉が入り乱れてることを指しているのにそれが乱れるなんて、頭痛が痛いって言ってるのと同じレベルだ。
彩綾に落ち着いたらいつでも声かけてと言って、昼からの測定に戻った。彩綾も時間差で研究室に来たけど、誰が見ても脳みそをどこかに落っことしてきている彩綾はそこにいるだけで作業は進んでいなさそうだった。
俺はいつもと変わらず測定を終え、教授に挨拶をして研究室を出る。その時に後輩に彩綾持って帰ってくださいと押し付けられて、体は動くけど頭の中身が入ってるかは怪しい彩綾の手を引いて校内をゆっくり歩く。
「彩綾、頭戻ってきた?」
「すこし」
「そっか」
「誠、時間、ある?」
「うん、あるよ」
話ができる?ってことだろうから、断るつもりはない。
学生の頃じゃ手が出ないようなレストランにだって行けるのに、彩綾は付き合ってた頃によく行ったハンバーグレストランがいいと言うのでやってきた。
ここでもやっぱり、お互い好きなメニューは変わらなくって1年前とほぼ変わらないものを頼んでいて、顔を見合わせて笑った。
「彩綾って、ほんと好きなもの変わんないね」
「誠も大差ないじゃん」
「彩綾ほどじゃない。俺は日替わりが好きだったけど彩綾ってほぼ毎日サラダ丼だったし、ここだとチーズハンバーグ」
「好きなんだもん」
そういう俺も学食じゃ定食、ここだとダブルハンバーグを注文することが9割を超えてるから本当に大差はない。これを食べ終わると彩綾は多分きっとソフトクリームパフェを頼むし、俺はアイスカフェラテを頼む。
「いくつか、聞いてもいい?」
「いいよ」
「飼うって、その2人の中で付き合うってことの言い換えみたいな感じ?暗号っていうか」
「ううん、飼うは飼う。お付き合いはしてないよ」
「………付き合いたいとか、思わないの?」
「それは今の俺の悩みのひとつかなあ」
おにーさんと付き合いたいとは思わないのか、という質問は今の俺の悩みのひとつ。
おにーさんにずっと飼っててもらうにはどうしたらいいんだろう。この居心地のいい場所を手放したくない。むしろお金を払ってでもこの居場所が手に入るなら喜んで払うのに、おにーさんは俺にお金なんて一切求めない。
「ずっとこのまま、飼われてたいって贅沢だよなあ」
「そうだね。私、その人の容姿は知らないけど、稼ぎが良くて家事が出来て、包容力もある男性。女の人がほっとかないね」
「うぅ、分かってるもん」
そんなの、分かってるもん。
特別顔が整ってる方ではないけど、そのすました顔は意外と表情豊かで良く笑って噴き出している。優しく笑うのは貴重で、見てるだけで俺が照れる。背は高くて世の中の一般女性が求めるであろう身長をゆうに越えていて、体格もそれに見合っている。収入に関しては文句の付け所がなく、俺のように残業地獄にも陥っていない。家事も出来るけど、これは下手な女の人(少なくてもうちの母さん)より出来る分、嫌がる女の人もいるかもしれない。
包容力に関しては申し分ない。
「分かってるけど、だって」
「また言い訳?」
「…………だって、おにーさんが俺のことどう思ってるか分かんないもん」
「なっさけな……。誠ってヘタレだったっけ?」
「言いたい放題すぎ!」
本当にまだ俺のこと好きなの?なんか今日はやたら冷たい目で見られたり好き放題言われまくってる気がする。本当に終わらせる手伝いって必要だった???
って、そんなことより。おにーさんはたまに好きとか言ってくれるけどどんな意味かとか問い詰めたこともないし、問い詰めるのは怖い。
気持ちに相違があって、おにーさんが俺の気持ちがうざいって捨てたらそれで終わりだもん。今、つい言っちゃう大好きが受け入れられていて、こうして一緒に過ごせるならその方が良いんじゃないかって思ってしまう。女々しいって言われるだろうけど、少しでも長くおにーさんと居たいのだ。
「私の時とは、全然違うね」
「え?」
「誠ってさ、案外ちゃんと男の子してるって言うか。告白だってちゃんとしてくれたし」
「そりゃ、女の子に言わせたりしないよ」
「けど、甘えてはくれなかった」
「………カッコつけたかったし」
ちっぽけかもしれないけど、好きな女の子の前で、ちょっとでもカッコよく居たかった。最後の最後に、不安な彩綾になんの説明もせず分かってくれなんて酷い甘えをして、振られた。振られた時はなんで!?って思ったけど、あれから半年以上経った今になると振られて当然のことをしたんだと思っている。
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