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おにーさんとお付き合いを始めて俺はペットから恋人に昇格(?)をしたわけだけど、おにーさんが言ったように俺とおにーさんがしていることはほとんど変わっていない。 変わったのは、俺がおにーさんと呼ぶと違うだろって、甘くて意地悪な顔して言われることくらい。ちょっとずつ変わってきたけど、思わず呼んじゃう時はおにーさんって呼んじゃう。おにーさんも寝ぼけてたらそのまま何も言わないし、お互いに慣れていない。 こういう、付き合いたての初々しいのはどうもむずむずキュンキュンして俺の心臓がくすぐったい。 そんな、まだまだ心臓がくすぐったい時にやって来るバレンタイン。これまでって貰う側だったし特に気にしたこともなかったけど今年は違う。こういう場合って俺が用意するんだろうし、悩みながら時間は過ぎていった。 「伊藤くん、はい」 「ありがとうございます」 「お返しは保護メガネだと嬉しいな」 バレンタイン当日、朝イチで鈴木さんが技術部のメンバーにチョコを配っていた。そしてちゃっかりお返しのリクエストも残していく。俺には保護メガネ、野田さんには保護手袋、内村さんには白衣が欲しいと言っていた。うちの部署では必需品だけど人によってこだわりがある。 俺は視力がいいからどんな保護メガネでも困らないけど、メガネとコンタクトを併用する鈴木さんはメガネ対応した保護メガネを使うし、手袋も女性用の小さめのものを使っている。白衣はできるだけ丈の短いものを選んで着ているのも知っている。ぶっちゃけどれも消耗品で、それぞれ1000〜3000円くらいで買えるものだからお返しの金額としておかしくないものをリクエストしてくるあたり流石だ。 「鈴木さんはこういうのどこで買ってますか?」 「伊藤くん逆チョコ?」 「参考までにです」 「逆チョコとか良いよね、貰いたーい」 「彼氏さんに言ってください」 「当日に会えるならなって言われたから今日は定時で帰るね!」 「「「えっ!?」」」 「急にすみません」 テヘッて感じで驚くべきことを言う鈴木さんの発言に、それまで話に入ってなかったはずの野田さんと内村さんまで反応する。そしてこの時、俺のさらなる残業は決まったようなものだけど恋人との時間は大切にするべきだと思うから見送ることを決意した。 そうして夕方、いつものように栄養ドリンクを体に流しこもうとした時に技術部の扉がバーンと開いた。キョトンとそちらを見ると息を切らせた阿川くんが居て、嫌な予感に見なかったことにして顔を伏せる。 「ちょっと!伊藤くん俺と目ぇ合ったのに酷い」 「やだ。俺は阿川くんなんか見てない。やだ、俺は関わりたくない」 「そう言わずに!お願い!」 「いやだ。俺は今日も残業して帰るんだもん。阿川くんここまで来ると怖いよ」 「良いんだよ。ミホちゃんがどう思ってるのか知らないけど、俺はぶつけるしか出来ないし」 うわあ、不器用なくらい真っ直ぐ。でも、ミホちゃんにはこのくらいの方がいいかもしれない。ミホちゃんがすっごく優しいことも知らずにつまんないなんて言う人よりも、ミホちゃんがどんな酷いことするかも知ってながら好きって言うくらいの人がいい。だからってストーカー一歩手前な人もどうかとは思うんだけど。 「俺を連れてく理由は?」 「伊藤くんとミホちゃん、仲良しだから止まってくれるはず!俺1人だとスルーが多い」 パチンと手を合わせてお願い!と言う阿川くん。何度も頼み込まれて、明日大型のところ開けてくれるなら良いよと俺が折れたのだった。 野田さんと内村さんにすみません明日働きますと社畜宣言をして6時過ぎに会社を出た。この時間に会社を出て家に帰れたらどんだけ幸せだろうと思いを馳せながら、阿川くんがミホちゃんには渡すつもりらしいバレンタインチョコを探すために大きなデパートに連れていかれた。これ幸いと、ついでに俺も便乗した。 おにーさんはものすごい甘党ってわけでもないから、量より質だと意気込む。俺の場合、舌がそんなに優秀じゃないから質より量で十分だけど、そんなに甘いものを食べないおにーさんには質重視で選ぶ。そのため高級チョココーナーを眺めるんだけど、 「ふぉおお、チョコ4粒で2000円!?たっかあ」 「ふぁっ!?こっちは4粒3000円!?」 ひええぇ、すごい値段!やばい、一粒700円越えてる!一粒で大袋チョコ3袋買えるじゃん!ニュースで自分へのご褒美チョコなんて聞いたこともあるけど本当にご褒美な値段じゃん!いっぱい食べたいってタイプの俺じゃ満たされるまでにいくら使うか不安になるほどに高い。こんなの1万円分くらいぺろっと食べちゃう自信しかない。 「伊藤くんも買うの?」 「うん」 「やっぱり彼女居るの?」 「いないよ」 彼女はいない。ミホちゃんを好きだと言う阿川くんに嘘をつくつもりは無いけど、わざわざ自分からは言わない。その辺は阿川くんがどこまで機転が利くかって話なんだけど、俺が思ってるよりも回らないらしい。 「片思いって、辛いよなあ」 「ぶうっ、ふふっ、そぉだね」 俺がどこの誰に片思いしてるかは置いておくことにしたらしい阿川くんはどんなのがいいと思う?と聞いてくる。どっからどう見ても男の阿川くんだけど、思考回路は乙女らしい。好みが分からないからと無難に走るか迷走するか、面白いので黙って観察しているとついに何も持たずに売り場を離れた。 俺はそのまま見て回り、気になったチョコを買うことにした。コーヒーによく合うチョコなんて定員さんが書いたであろうチョコの売り文句に惹かれた。お酒は飲めるのに飲まないから、お酒に合うものよりもコーヒーに合うとオススメされてるものがいいなぁと思ったのだ。 「………伊藤くん、何人に片思いしてるの?」 「ほとんど俺用」 「多くない?」 「いーの」 俺の分はただのおやつだ。普段は買えないようなチョコまで集まってるからつい食べたくなっただけで、そう高いものじゃない。嵩張るだけで、中身だって数日で食べられるくらいの量だ。 「阿川くんは買わないの?」 「ミホちゃんが好きなのが分からん」 「こぉいうのって気持ちでしょ」 「ミホちゃんならビールの方が喜びそうだな」 「それならビールをあげたらいいと思うよ。それかビールバーとかに連れて行くとか」 「!!!」 それだ!なんてキラッキラした笑顔が眩しい。だけど手ぶらはどうなの?と思ったから、お酒と一緒になんて売り文句が書かれたチョコも買うことになった。

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