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楽しかった旅行から一夜明け、俺の現実が戻ってくる。 出勤して事務室に入ると、俺の机には金曜日にはなかったものがでーんと乗っている。何を検査して欲しいかのチェック用紙がペロンと貼られて、そこに営業さんの手書きの文字で水曜日までに結果が欲しいな(はーと)なんて無茶振り満載の置き土産だ。 「水曜日………午後にならなんとか、なるかな」 営業さんに返事のメールを入れて、朝の用意に取り掛かった。 ぽちぽちと仕事の用意をしながら隣の席を見る。田中さんにと作られたそのスペースだけど、先週の後半から休んでいて今週はどうなるのかなと少し不安になる。それが吹き飛ばされたのは定時の少し前、蚊の鳴くような声でおはようございますと聞こえた時だった。 パッと顔を上げるとやっぱり田中さんがいて、居心地悪そうに扉の前に立っていた。一応体調不良と連絡を受けているけど、あんな風に言われた後じゃ休みたくなるかもしれないし。 無事に出勤してきた田中さんはミーティング前に急に休んですみませんでしたと頭を下げて、その様子に俺たちはきょとんと顔を見合わせたのだった。 その日、午前中だけで俺は何度田中さんを見たか分からない。 「伊藤さん」 と田中さんの声で呼ばれたその時にはひゃっ!!と俺が跳ね上がって驚いたくらいだ。その時机に打ち付けた膝は今も少し痛い。 まるで借りてきた猫のように大人しい。 先週まで、無駄だと、やらなくて良いと言い張っていた検査をきちんとルールに倣ってやってくれるようになっているし、俺にまでさん付けをして丁寧な言葉を使うしで俺が付いていけてない。 田中さんがまだ入ってくることがほとんどない実験室の中ではあとため息をついたはずだけど、まるで山びこのように同じようなため息が聞こえてきて顔を上げると野田さんまでため息をついていた。 「「はあ」」 顔を見合わせて出たのもやっぱりため息で、俺たちは田中さんとどう接すれば良いのか分からない。これまでがこれまでな分、こうして手のひらを返したように大人しくなるとこれはこれでやりづらいのだ。 「そうだ、伊藤くんまた5月に出張行ってもらっても良い?」 「はい大丈夫です。俺ってことは大学ですか?」 「そう。向こうの教授もどうせ来るなら慣れてるし伊藤くんが良いって言ってくれるし、伊藤くんなら迷子にもならないでしょ」 「迷子ですか?」 「俺も行ったことあるけど、あそこ広すぎて生物学棟に着いたんだよね」 「それ最初から道間違えてませんか?」 「あっはっはっ」 いやいや、笑い事じゃないよ。 野田さんって方向音痴なのかな? 「あと伊藤くん今年のゴールデンウイークはどうする?」 「特に予定は無いんで、人が居ない日は出ます」 おにーさんは俺が休めるなんて最初から期待してなくて、ゴールデンウイークの話が出た時、俺は休みだからお前が休みの日に日帰りでどっか行くかと超弾丸予定だ。 せっかくだし1日くらいデートしたいなと思っているくらいで、希望は特にない。飛び石にはなりそうだけど意外と休みを取れそうでホッとしたのだった。 そんな話をしていると実験室の扉が開いて、田中さんが顔を覗かせた。そして、終わりましたと野田さんに報告していて野田さんは確認のために出て行った。 きちんと出来ていたのか、今度は実験室にやってきて違う機器を使う検査を教えていた。しばらくして野田さんが製造さんに呼び出されて、まさかの伊藤くんお願い!と途中の田中さんを放って飛び出してしまい実験室には気まずい空気が残った。 「………えっと、どこまで教えてもらいましたか?」 「今倍率の操作を教えてもらってたところです」 やったばっかじゃん!これほぼ俺に丸投げじゃん!と思うけど、まあ仕方ない。パソコンにUSBを差し込んで操作方法を教えながらこの機器に関する話をする。と言ってもこれはかなり高性能すぎる顕微鏡って考えたらいいからあんまり説明することはないんだけど。 「そのUSBは備品ですか?」 「これは俺のです。ここに備品の分もあるんですけど、この機器は使用頻度が高いし、みんな使うものだからデータを移動させてる間使えないのが不便なんでみんな自分のUSBを使ってます」 但しそのUSBは社外持ち出し禁止になりますと口添えも忘れない。この機器から取ったデータだけならまだ持ち出しても良いんだけど、結局色々なデータを入れちゃうから持ち出しは禁止。 田中さんが操作するのを見守りながら、見るべきポイントで口を挟むけど、何も言われることは無かった。

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