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「その匂いなんなの」 「声だけ怒っててもこの体勢じゃ締まらねえよ」 「いいのっ」 膝を借りたまま、好きになれそうにない匂いを嗅いでむっとしておにーさんに尋ねる。 おにーさんはわざと妬かせるようなタイプじゃないと思っている。俺が妬いてムッとしてるのを見るより、その結果として俺が離れていくことの方を嫌うはずだ。 つまりこれは俺に不快な思いをさせたくて移ったものでもなければ、おにーさんがわざとつけて帰ってきたものでもない(はずだ)。 「研修に連れて行った後輩がくっせえんだよ」 「何人で行ったの?」 「4人、同僚1人と新人2人」 「ほお……」 「で新人の1人がコレ」 嫌そうに顔を顰めたおにーさんもこの匂いが嫌なのかな。 おにーさんらしくない甘ったるい匂い。おにーさんはもっとすっとした、甘いよりは涼しげな匂いの方が似合う。 「モテるの?」 「仕事と年収はな」 「むむむっ」 「はっ、変な顔」 そう言うなら俺のほっぺた潰してる手を離してよ。 いつまで経っても離して貰えず自分の手で押しやってソファの上に座り直す。 「ちょっとぐらっときた?」 「来ない」 「んー、なら良い。けどこの匂いはやだからお風呂入って来て?いつもの穂高さんにぎゅってされたい」 「はいはい。お湯ためていい?」 「もうためてるよ。穂高さんが帰って来るちょっと前に沸いたって言ってたからまだあったかいよ」 「気が利くな」 いい子って撫でてくれる手はやっぱりいつも通りのおにーさんのあったかくて大きな手だ。 俺をひと撫でしてからお風呂に向かったおにーさんを見送った。 きっとゆっくり浸かるだろうから、荷物でも片してあげようかなと思ったけどやめた。きっとおにーさんのことだからこのトランクの中身は洗うもの、綺麗なものとしっかり分けているだろうし。気を利かせたつもりが仕事を増やすなんてことになりそうでやーめたとソファに戻ろうとした俺の鼻が何かを嗅ぎ取る。 クンクン クンクン ふあ〜んと香る香ばしくいい匂い。 発生源はどこだ!?と鼻を鳴らして突き止める。 少し丈夫そうな白い紙袋が犯人で、それをダイニングのテーブルに乗せてその目の前に座る。 いい匂い、これはデザートなんかじゃなくてご飯系。 ものすごくいい匂い。醤油の香ばしい香りが俺の食欲をそそる。 ぐぅぅう〜 ぐうぅ〜 と何度も鳴るお腹に、何度も手を伸ばしては必死に我慢した。食べたい、食べたい。多分食べていいけど、何にも言われてないからただひたすら我慢。 お腹を鳴らしながらじっと紙袋と睨めっこをする俺はおにーさんがリビングに戻って来たことにも気づかず、そんな光景を見てぶぶっと笑われてやっとその存在が帰って来たことに気付いた。 ぴょんと椅子から降りておにーさんにダイブする。 撫でてくれると思った手は撫でてはくれず、俺のお尻をペチッっと叩いた。そんなに……いや、全然痛くないけど。 「何で風呂掃除してんの?お前1人だとどうせシャワーだろ」 「穂高さん帰ってきたら絶対お湯に浸かりたいと思ったから、お湯ためる前に洗ったの」 「怪我してねえ?」 「してないよ」 「なら良い」 お風呂掃除くらい出来るよ。 それこそ問題なくね。実家にいた頃は母さんルールで最後にお風呂に入る人が洗うって決まりで、兄たちが家を出てからはほぼ毎日俺の仕事だった。 「風呂場は滑りやすいし、洗剤なんて使うとさらに滑るんだからあんまりやるなよ」 「ほんとに俺のこと何歳だと思ってんの!?」 「もうすぐ24だろ」 分かっててそんな心配するのか。 おにーさんの頭の中ってたまに大丈夫じゃない。 俺がそんな心配をしていると、耐えきれないとお腹がぐぅぅう〜っと酷く主張し始めてしまった。 「穂高さん、ちゅー」ぐぅぅう〜 「くっ、今は無理だっ」 ちゅーもして欲しいし、お腹も空いたし俺は忙しい。 おにーさんは堪らんと体を震わせて笑いながらも、今日は買ってきたとさっきから俺のお腹を唸らせていた紙袋に視線をやる。 「食べてもいい?さっきからいい匂いがしててやばい」 「いい匂いだよな。あっため直す?」 「そのままで十分美味しそう」 レンチンなんて待てない。 許可は貰ったし、ガサゴソ袋から中身を取り出すと肉まん、餃子、チャーハン。 そして、俺のお腹を唸らせていた犯人。美味しそうな骨付きの唐揚げ。何だこりゃ、手羽先……とはまた違うような感じだけどなんなのかは全く分かんない。 きっと香ばしいタレにしっかりと浸かってからジュワッと揚げられた美味しそうないい匂い。 美味しそぉ〜とそのパックを持ち上げて眺めていると、おにーさんがもうやめろと笑い崩れていた。

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