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扉の奥から聞こえるのは泣き声だった。 それに重なるように父さんの声が聞こえるから、泣いてるのは間違いなく母さんだ。 22年間同じ家で暮らして、4人の兄が結婚していく時も泣くことなんてなかった母さん。 そんな母さんが、こんな夜も遅い時間にひっそりと泣いている。 もちろんそれは俺のせいだ。 「そんなに泣くなら反対しても良いんじゃないか」 「そんなんあかん。お父さんも絶対、反対したらあかんで。そんなん私が許さへん」 「………」 「普通とちゃうことするって、傷つくことも多いと思うねん。誠が逃げ出したくなった時、帰ってこられへんような場所にするのは私が許さん」 泣いてるのにその声は力強くて、絶対に曲げない意志を感じた。 「いつもそう言って、こっそり泣いてばっかりだな」 「うるさいわ。子どもの前で泣いたりはしやん。心配かけるはお父さんだけでいいねん」 「………」 「誠のこと、ほんまに可愛がって来てんで」 「知ってるよ。誠も多分、分かってるよ」 「やから、幸せになってほしいねん。けどそうするんは私達やないやろ?他の誰かに託さなあかん」 「間違えてるって言うのも優しさじゃないか?」 「間違えてるかは後にならな分からん。誠が今この人しかおらんって言うのを曲げさせたくはない。間違えてたと思った時、泣いて帰って来ても怒って帰って来ても、いい寄り道したなって笑ってあげたいやん。絶対に責めたらあかんよ」 曲がらない意志の中に見えた深い愛情。 いつも励ましてるのかフォローしてるのかよく分からないことを言う母さんだけど、その中にあったのは深い愛情だった。 どんな時でも帰って来ていいと、いつからだってやり直せると、その場所は置いてあるよと、そんな愛情があった。 誰だよ、繊細さなんてないって言ったの。 豪快なところもあるけど、ものすごい繊細じゃんか。 俺、ものすごい愛されてるじゃん。 愛情を持って育てられたとは思っていたけど、俺が思っていた何倍も大きい愛情がそこにはあった。それこそ俺は生まれた時から、いつもずっとそれに包まれて来たから気づかなかっただけだ。 廊下にしゃがみ込んで、俺も一緒に泣く。 その奥から聞こえてくるのは父さんと、今も泣き声の母さんの会話。 兄が結婚した時も、母さんはこうして泣いていたらしい。 4番目の兄以外は超突然の結婚報告だったから母さんはほんまに大丈夫なんやろかと不安で仕方なくて、だけど反対はせずに受け入れて、受け入れてやって来た。 兄がどんな人を選んでも、奥さん同士を比べることもしなかった。あっちはああだからあなたもなんて事は絶対に言わなかった母さんは、奥さん達ともそれなりにうまくやっている。 俺は今まで、それは男ばっかのきょうだいでお嫁さんが多いからそうして大雑把なんだろうなと思っていたけど、それも間違っていた。 「どんな風に結婚しても、誠みたいに結婚出来んくてもいいねん。その人が私の子をちゃんと幸せにしてくれるなら、私は反対しやん」 ほんと、俺は母さんのこと何も知らなかったな。 そりゃ俺はこれまで幸せだったはずだよ。 こんなふっかい愛情にずっと浸ってたんだもん。 飲みたかった水は飲めないし、それどころか泣いて余計に喉が渇いたけど今この中に入っていけるほど無神経にはなれなかった。 きっとこれは聞かなかったことにした方がいい。 聞いちゃったけど、そのことは黙っていよう。 母さんがこうして受け入れてくれることに、今は甘えよう。 そして、何年か経った時でいいから心配して泣いただけ損したわと父さんと笑ってくれたらそれが良い。 翌朝、起きてリビングに行くといつもと変わらない母さんと父さんがいた。 「おはよう」 「おはよう誠」 「誠、お母さんを止めてくれ」 「なんの話?」 「朝ご飯なににしよかな思って誠の好きなんにしてん」 「卵かけご飯!!」 「そう、後ゆで卵も好きやろ?」 「大好き!」 「誠!」 「ふえ?なに?」 「お前卵かけご飯にゆで卵食うのか?」 「うん」 おにーさんはこれさせてくれないんだよね。 卵は1日何個までとか言って、ゆで卵の暴食をさせてくれない。母さんは3人で8個湯がいてるから割り算出来てるのかちょっと不安になるけど、まあ気にしない。 「誠」 「なぁに父さん」 「俺はお母さんと結婚して良かったとは思ってるけど、この料理センスだけは未だにな……。誠は大丈夫そうか?」 「うん!今度父さんも食べる?スパイス入れても美味しいカレーを作ってくれるよ」 「誠食べれるのか?」 「俺は甘口」 結婚40年くらいの両親で、母さんの料理を40年食べてる父さんだけど未だに白目を剥きそうなときはあるらしい。それでも、それを含めて母さんのことを大事に思ってるんだろう。 昨日知った母さんの愛情深さはきっと父さんにも向けられている。だから父さんは料理が多少アレな母さんでも受け入れて来たんだろうなと思うし、ああいう母さんを支えて来たのも父さんなんだろうなと思った。 そのあとすぐに机の上に卵かけご飯とゆで卵が並んで、俺は少しムッとする。 「卵の白身入ってる!」 「ええやん、ゆで卵は白身の方が好きなんやろ?似たようなもんや」 「全然違うぅ」 「うるさいな。あんたそんな小言多いと嫌われんで」 「最初に卵かけご飯は黄身だけ派って言って以来ずっと黄身だけで出てくるもん」 「はぁあ。卵かけご飯くらい自分で用意しぃや」 論点!論点変わってる! そう思いながらも、乗ったものは仕方ないとそのまま卵かけご飯を楽しんだ。

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