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2-71.
密かに楽しみにしていた新入社員を見逃した俺は少ししょんぼりと今日のデータを纏める。
新入社員が技術部に来た頃、俺は社長に呼ばれていた。
俺の新しい研究内容についての話だ。今のまま検査だけなら仕事的に落ち着いてはいるけど、物足りなさもある。
研究は、安全な範囲での失敗はひどく好奇心を擽る。もちろん爆発や火災の可能性があるならそんな好奇心は消火器で消すんだけど、そうじゃないならやりたくなるのが俺。
失敗すると分かっていてもやりたいのが俺。
目で見て確かめて、それから次をやりたい。
それを許される今の職場は、やりがいだけは十分だ。
「伊藤くんの失敗しても挫けないところはすごいな」
「なんかの名言か格言で、1つの成功は99の失敗からみたいなこと言いませんか?」
「天才は1%のひらめきと99%の努力であるってやつかな」
「あ、それかも知れません」
「本当に理系の知識の豊富さに比べてなんと言うか……」
そう言葉を濁す社長だけど、その顔には残念と大きく書いていた。
だけどなんとなく伝わればそれでいい。
そんな話を社長としていた間に、統括部長に連れられた新入社員たちが技術部を覗きに来ていたらしいく、俺は完全にすれ違った形だ。
「新入社員ってどんな人でした?」
「私は背の高い子が好みだった!」
「もうすぐ結婚するっていうのに彼氏さんが泣きますよ」
「えへ。伊藤くんがくれた離島リゾートでプロポーズしてくれたんだよ。半分伊藤くんのおかげ」
「もう半分は?」
「私の魅力?」
「それなら全部鈴木さんの魅力だと思いますよ」
雰囲気は大事だけど、プロポーズなんてそう軽く出来るはずがない。俺がプロポーズの過程まで知ってるのは4番目の兄くらいだけど、可哀想なくらい緊張してた。
「本当におめでとうございます」
「ありがとう」
「ところで何さんになるんですか?」
「鈴原さん」
「間違って鈴木さんって呼んじゃいそうです」
「私も。勢いでそのまま木って書きそう」
分かると俺が言うと鈴木さんは嬉しそうに顔を綻ばせる。
今は婚前のいろいろな準備や、結婚後のことも考えて鈴木さんの仕事は少しずつ減っている。辞めるつもりはないとみんなの前で言ってくれたけど、今ほど残業は出来なくなるからと頭を下げた鈴木さんを責める人はうちの部署には居なかった。
野田さんはここが女性の既婚者にはきつい仕事だろうと、部署を変える?なんて話も出したけど、それは鈴木さんが辞退していた。ここでのやりがいは他では得られないから、迷惑でないならこのまま技術部に居たいと言ってくれて俺は嬉しかった。
「そうだ、来週から関西で営業してた人が1人本社に戻ってくるよ」
「そうなんですか?」
「うん、私の同期。歳は下だけど」
「楽しみですね」
「そうね、同期と飲みに行きたいな」
「………俺に出来る検査なら引き受けます」
「ありがとう!」
俺たちが同期と飲みに行くなんて、残業出来ませんって言ってるのと同じだ。これから鈴木さんの仕事を少し貰うことも増えるだろうし、俺も今はそんなに追い詰められてるわけじゃないから少し教わってみてもいいかも知れない。
「伊藤くんの同期は飲みに行ったりしないの?」
「俺以外はたまに集まってるみたいです。俺、いじめられてるみたいです」
「あはは、そうだね。あんまり酷かったら野田さんに相談してみてね」
「野田さんが胃薬とお友達になりそうですね」
俺がそう言うと鈴木さんはケラケラと楽しそうに笑った。
俺の同期は俺の忙しさに気を遣って誘わないだけで、俺だけ避けられているわけでもはみごにされてる訳でもない。今は飲み会の日程は教えてもらっているし、行けたら行くと返事をしているけど行けた試しは今のところないだけだ。
野田さんは冗談めかして言えば伊藤くん?と静かに注意しそうだけど、もしも真剣に相談したら真面目に考えてくれるだろうから、きっと胃を痛めるだろう。
ちなみに、今名前は出なかったけど内村さんもきっと、気を揉んでくれるタイプだと思う。
そんな上司に恵まれてきたから、こんな労働時間でもなんとかやれていると本当に思っている。
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