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2-106.
いつものように原付に跨り、家に帰る。
玄関を慌ただしく開けて、荷物をその辺に放り投げてリビングに駆け込んで、見えた背中に飛びつく。
「っ、、おかえり」
「うぅっ、やだぁぁぁあ」
「はあ?」
「やだぁぁあ、いぎだぐない゛ぃぃ」
「?」
会社では泣くのは我慢した。
嫌だけど仕事だから、我慢した。
だけどやっぱり嫌なものは嫌だ。
「どうした?」
背中で大泣きする俺の手に大きな手を重ねて、優しく尋ねてくれるその声にもっと涙が出てきて服のシミが大きくなる。
「ずびっ、えぐっ、じゅっぢょお」
「……出張?」
「ゔん、、いっ、がげづ、ぐらいぃい」
「長えな」
そう、それが大問題。
「いぎだぐない゛ぃ」
締め括りに本音を漏らした俺の耳に呆れたように笑う声が聞こえてきて、抱きついた手を解かれて正面から抱きつかせてくれた。
俺の涙と鼻水のシミが増えるのになぁと思っても、抱きつく力を緩めることはできなかった。
「行き、たくなぃっ」
「そう言っても誠は行くんだろ?」
「………穂高さんも、来ない?」
「俺にも仕事があんだよ」
「………そ、だよね」
しょぼん、と答える。
穂高さんにも仕事がある。分かってるけど、分かってるけど!
「俺だって寂しいって」
「そおじゃないっ!それもあるけど!!!」
「?」
「穂高さんはいいじゃん!俺自分でオナニー出来ないのにホテルで夢精とかやだぁぁぁぁあっ!」
「ぶぶっ、くっ、ははっ!」
俺が叫ぶと穂高さんは遠慮する様子もなく笑い始めた。それはもうおかしくて仕方ないって笑い方だけど、俺にとっては真剣な問題だ。
「笑ってないで助けてよ!穂高さんのせえで俺オナニー出来なくなったのに!」
「っ、ははっ、はいはい、考えてやるよ」
「ホテルで夢精とかやだからね!」
「そうだな、防水シーツでも持ってく?」
「まじめに!まじめに考えてっ!!」
「つーか週末に帰って来たりは?」
「現地の方々が、俺をもてなそうと必死……」
「ああ、断れねえやつな」
その言葉にこくりと頷く。
あくまで向こうは善意だ。
日々忙しく仕事をしていると知ってくれているからこそ、遠くに来たついでに美味しいものを食べさせたり、有名な観光地の案内をしようとしてくれている。
それを分かっていて断れるほど、俺は酷いやつになれそうにない。
「まじめに考えてやるから、な?」
「夢精したら責任とってよぉぉ」
「いけるようになりゃいいんだろ?」
「………なんだかすごく嫌な予感しかしない」
そう呟いた俺の言葉を肯定も否定もせずにただ笑って聞き流した穂高さん。こういう時の予感はきっと当たる。が、その予感を避けてまさかの出張先のホテルで夢精とかも笑えない。
「あ!お風呂場で寝たらいいんじゃないの!?夢精してもシャワーで流せる!」
「アホか。あんな狭い場所で寝たら体痛めるだけだからやめろ」
俺的名案は即座に却下され、穂高さんは泣き止んだ俺を見て俺のせいで濡れに濡れた服を着替えていた。
連休明けの穂高さんの体には連休中にいいよと言われて付けたキスマークが薄っすら残っている。あれ、つけたの俺なんだよなぁと思うとさっきまでの憂鬱な気分は少しだけ晴れた。
「1ヶ月くらい噛み跡残んないかな」
「消えないような傷は残さねえよ」
そっか。
1ヶ月もら消えないとなると歯形とか鬱血痕のレベルを超えて怪我になるのかと少し落ち込む。
落とした視線の先には穂高さんがくれた指輪もあるのに、これだけで満足できないってほんと俺欲張りだなと今度は違う意味でしょんぼりした。
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