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出張に行きたくないとごねるのはもうやめて、諦めてちゃんと仕事をしようと決意した月曜日。 俺は自分のことですっかり忘れていた問題に直面した。 「伊藤さんっ!」 「田中さん、おはようございます」 「おはようございます。ってそうじゃなくて!」 「どうかしましたか?機器の不調ですか?」 田中さんがよく使う機器なら田中さんにだってある程度見れるはずなんだけどな、とか色々と考えを巡らせる。最悪壊してたりしたら技術部として死活問題、というか経費的にえらいことになりかねない。 「しゅ、週末に……」 「週末?」 「その、えーと」 「………もしかして山口さんですか?」 「っ!!!」 様子の変な田中さんの原因は、最近は主に山口さんだ。 山口さんがにもなかったように過ごしてるんだからそれでいいと思うんだけど、田中さんにとってはそうもいかないらしい。 「連休中に、ばったり会うような距離に住んでいるようでして」 「俺あんまり聞きたくないです」 「俺、嫌いなはずなんです」 「嫌ってるだけ関心があるってことですよね」 「?」 「好きの反対は無関心。そう言った偉人が誰かは知らないけど、俺はそれを否定できないなって思います」 「伊藤さんが哲学的な話してますか?」 「失礼ですよ。そんなこと言うなら聞きませんよ」 俺だって多少は、そういうことだって知ってる。 好きの反対は嫌いだと思っていた俺を変えたのは誰だったかな。 スポーツが得意だった割に読書が大好きだったはじめての彼女かな。 誰か偉人の本を読んだ時に、感動した様子でその話をしてくれたけど、当時の俺にはそれがよく分からなかった。 それが少しずつだけど歳を重ねて、なんとなく、分かるようになった。 俺が振られてばかりだと思っていたけど、新しい環境に夢中で、彼女に無関心だったのは俺の方で、俺の方がきっと酷いことをしていた。 「好きと嫌いって言葉ではたぶんきっと対極だけど、有る無しで言えばどっちも有りです。だから、好きって感情の正反対は、無関心っていう無しだと俺は思います」 「………伊藤さんって、ほんとバカそうに見えるのにたまに頭のいい人っぽい発言しますね」 「俺は結構自分のことでいっぱいいっぱいなやつですよ」 「本当にいっぱいいっぱいな人間は俺みたいに空回ってばっかりです」 「いいんじゃないですか?そういうのも受け入れてくれる人の方が楽ですよ」 不器用で空回りがちで頭の中がちょっとお花畑みたいなところがあって、人との関わりが苦手。 だけど多分、根っから悪い人ではない。 山口さんとの関係に関してだけ言えば、拗らせすぎていて俺にはもうどうなっているのか分からない。 「昔のことを水に流せとは言いません」 「はい」 「だけど、自分のやったことをそれなりに反省して、罰としてそれを受け入れている今の山口さんと、新しい関係を築いていったらどうですか」 できるなら同僚として。 そう、まあやっちゃったことはしょうがない。それこそ水に流して、今から同級生の同僚として、新しい関係を作っていけばいいと思う。 「それは、無理です」 「?」 「………忘れられないです」 どっちを? いじめられたこと?やっちゃったこと? それとも、どっちも? それを聞いていい感じじゃなかったから踏み込んだりはしなかったけど、この人は本当に不器用だなぁと思う。 そう、この問題の相方とも言える山口さんがこんな調子だからこそ余計に、田中さんの不器用さを感じる。 「まこちゃーん」 「おはようございます」 「この検査してほしいんだけど時間かかる?」 「いいえ、それほどは」 そう返事をしながらも俺はマジマジと山口さんを観察する。うん、今回はどこか庇うように歩いてないし、多分同じことを繰り返したりはしてなさそう。うん、よかった。 「まこちゃんの視線がやらしーい」 「………俺は純粋な心配です」 「俺もまこちゃんのこと心配してるんだよ」 「その割にセクハラが酷いですね」 「まこちゃんの反応って癖になるんだよなぁ」 「ほらまたあっ!読めてきたんですからねっ!」 俺に伸びてきた手をバインダーで阻止する。 そんな何度もお触りさせないからっ!と警戒心剥き出しで山口さんを見ると、そうそれそれと楽しそうに笑っていた。 くうぅ、相手にしなきゃいいんだろうけど仕事上無理だし。かと言って飽きるまで触られるのも嫌だ。 「大丈夫だよ。連休中にばったり会っちゃって。俺は中学の連れといたから、嫌な思いさせたなと思っただけ」 「………今でもいじめっ子と仲がいいんですか?」 「主犯俺じゃない?」 「主犯に見えるだけじゃないですか?山口さんが個人的に田中さんを嫌いだった。目立ってた山口さんが嫌うからってみんなが寄ってたかっただけでしょう?止めなかった山口さんも山口さんですけど、大人になった今はそれさえ後悔してる人にあんたが主犯だと言ったりはしないです。強いて言うなら山口さんが言い出しっぺなだけで、止めれるのに止めなかった意気地なしなだけです」 「言いたい放題だなぁ」 俺的にそう思うだけで、当事者の田中さんにとっては全然違うことだとは思うけど。 「まこちゃんって、頭ごなしに責めないんだね」 「俺を育ててくれた人の言葉ですけど、責めることはいつでも出来るんだそうです」 「?」 「俺が山口さんってほんと最低なクソ野郎だなって思ってから責めても遅くないってことです」 「ちょっと!」 「まあ下半身がゆるゆるだとは思ってます!女の子相手に!とも思うけど、お互いが同意ならどうしようもないようなことな気もします」 「声を潜めて!お願いだから!」 少し焦ったような山口さんが珍しくて、俺はケラケラ笑いながら山口さんから逃げる。 山口さんも怒ったふりをしながらも笑って追いかけてくるもんだから、他のメンバーが戻ってくるまで山口さんと笑い転げていた。

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