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少しだけ、田中さんを取り巻く状況が分かってきたような気がするけど、俺が分かった気がしたところで何も変わらない。 田中さん本人が気づいて、触れて、解決する方がいい。 見て学ぶ、読んで学ぶ。そんなことももちろんあるけど、人間関係の教科書はないからこそ、恵まれたことに田中さんのことをいろいろな意味で受け入れてくれる人がいる今こそ頑張るべきところだと思う。 「まこちゃーん」 「はい、なんですか」 「これ急ぎ」 語尾にハートマークでも付いてそうな笑顔で俺に品物を渡してくる山口さん。急ぎか、山口さんの急ぎって嫌なんだよなとちらっと依頼書を見る。 「ふぁっ!?明日!?明日なの!?しかも昼イチ!?」 「理想は朝イチなんだけど、流石に厳しいかなって」 「これ時間かかるの知ってますよね?」 「だから昼までは待ってあげる」 ぱちっとウインク決めてきても何にも可愛くない。 くっそぉぉお、依頼書燃やしてやろうか! 今日は残業後定時(21時)に帰れそうだったのに残業じゃんか! 「………山口さんの仕事って楽しいけど、むちゃが多くて辛い」 「俺は気軽に頼める後輩が入ってきてほんと仕事が捗る。こっち来てから俺の成績鰻登りなの知ってる?」 「飛び抜けてますよね、すごいと思います」 うちの会社は目標らしい目標はない。それというのも、件数イコール売上になる仕事でもないからだ。たった1件しか営業しない営業さんなのに、売上で見ると上位に食い込んでいる人だっている。 月に数件しか取れなくても単価の高い案件だと売上は上がるし、月に数百件取って来ても単価が安いと売上は伸びない。 かと言って営業赤字ばっかり出してくる営業さんが居ないのは、社長がしっかりと教育をしてるからだと思う。 件数ではなく、営業利益を取ってこいと教え込んでいるだと思う。 「伊藤くんも山口くんの営業ついて行ったら?」 「?」 「私この前行ったけど、丁寧で分かりやすくて、用意周到。仕事も早い」 「その仕事って、主に俺たちに負担きてませんか?」 「………やっぱり山口くん絞めるわ」 「慶子ちゃんやめて!俺女の子に暴力振るえないタイプだからやめて!」 そうして鈴木さんと山口さんがわちゃわちゃと楽しそうに言い合っているのを聞きながら、山口さんの持っている資料に目を通す。 山口さんの依頼書に抜けがあったことはない。 分かる範囲で、どういう状況で使うのか、使っていたのかなど、俺たちに取って有益な情報まで細かく書かれていることも多い。 たまに酷い営業さんだと前と同じやつ!と言うけど、前ってどれだよ!ってなったこともない。 「いいですよ、営業のお付き合いなら俺もちゃんとします」 「ほんとに!?」 「はい」 営業先でセクハラはしてこないだろうし、仕事なら別に構わない。 「まこちゃん大阪までの出張とかいける?」 「へ?」 「俺が大阪いた頃のお得意先が、新製品に興味があるみたいなんだけど、俺ってまだまだ知識が浅いからさ」 「………来月に、大阪を含めた出張があると思います」 「まじで?え、ちょっと社長に直談判してくるわ!あの取引先結構大きいし、ワンチャンあるじゃん!」 と、飛び上がって技術部を出て行く山口さんを見送る。 本当に騒がしいことこの上ない人だ。 「山口くんが居なくなった後の静寂」 「そうですね。鈴木さん、何か俺に用事でしたか?」 「あ、そうだった!これなんだけど」 と鈴木さんが書類を渡してくれる。 鈴木さんが扱う製品の、もっと外枠の部分。 図面で確認する限り、それでも手に持てるくらいのサイズ。 普通なら中型のところに送られるようなものだろうに、どうして俺に?と思う。 「これに精密と同じ加工をしたいんだけど、伊藤くんならどうする?」 「これに、ですか?」 「うん、そう出来ないかって依頼が来て……」 パラパラと図面と書類を行ったり来たりして眺める。 使用環境だけを考えると精密と同じ加工はできる、けどそこまでする必要ある?って感じ。見た目はそりゃ綺麗に仕上がるだろうけど、性能的には差はないと言うか、なんならそのサイズになるなら普通の加工の方がいいくらいな気もする。 「コスト的な了承は取れてるんですか?」 「そこだよね」 「あと、俺はデータを持ってないんで憶測ですけど、このサイズに精密の加工をするとムラが酷くないですか?」 「それね。小さいものには強いけど、こんなおっきくなるとお手上げ……均一に出来る自信ない」 「あ、それで俺ですか?」 「そう。あんなでっかいものほぼ均一にしてるコツとかないかなぁって」 あれにはあれでコツがある、というか裏技がある。 これは……材質がステンレス。 「何系のステンレスですか?」 「え、何系って?」 「えーと……部品に磁石くっつきました?」 「付かないでしょ」 付かない方か。 そっか。 「無理ですね、あれは磁場を使ってやってるんで、その条件だと使えません」 「そっかぁ……。やっぱりコスト的に諦めてもらう?」 「俺ならそうしますね、中型の何倍くらいになりそうですか?」 「ざっくり4〜5倍」 わぁお。 精密に使ってる材料は値段が張るんだよね。加工も難しいからそもそも加工費も高いし、コストだけが上がっていいことは特にない。 「もしかしてブラストしたくない部品ですか?」 「そうなの、あと出来るだけステンレスそのままで使いたいって」 「うーん……」 難しいな。 ブラストせずに使えるもので、かつ透明。 「下地には心当たりがあります」 「ほんと?」 「はい。表面が透明なものもありますけど、その組み合わせって使わないんでやったことはないですね」 「………伊藤くんっ」 いつもよりなんとなく、ほんのり甘い声が聞こえてきて、嫌な予感に鈴木さんを見るとにっこりと笑っている。 「伊藤くん」 「もおぉ!分かりました!やります!でも時間はくださいっ!」 「いいよいいよ、来週くらいには上がる?」 「基礎検査と耐熱くらいなら上がります」 「ありがとっ!」 にこにこ笑顔で仕事に戻って行く鈴木さんは女の人らしい気もしなくはないけど、今の俺に取っては小悪魔と何も変わらない笑顔だ。 相談をした上で、最後はしれっと俺に仕事押し付けて行ったよと俺はいじけながらも鈴木さんに頼まれた仕事の用意と、山口さんに押し付けられた検査に取り組み始めた。

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