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時間の流れというのは無情だ。
俺が嫌だ嫌だとどれほど泣いても、眠れば朝が来るし、仕事をしたら夜になって、眠るとやっぱり朝が来る。
週末になると穂高さんに言われるがまま、何が悲しいのか1人えっちの練習に励んだ5月が終わった。
そして、俺は今から会社に行く。
穂高さんがクローゼットから引っ張り出してくれた大きめのトランクが、玄関にどーんと構えている。
「一応日曜に誠とも確認したから抜けはないだろ」
「………行きたくない。熱、熱ない?」
縋るようにそういうと、穂高さんはちゃんとおでこに手を当ててくれる。だけど平熱だなと言って終わってしまう。
「最初愛知だっけ?」
「もうどこでもいいから、行きたくない」
「頑張ってこい。ちゃんと待ってるから」
「………同居人増えてたらやだよ」
「増やさねえよ」
「うぅ、行きたくないっ!」
そう言いながらも靴を履いて、トランクを手に取る。
深いため息とともに、穂高さんに行ってきますと告げると、気をつけてな、と軽く引き寄せられてちゅっと唇が触れた。
たぶん、出張頑張ってのサービスだと思う。
「………寂しくなったら、電話する」
「ああ」
「声聞いて会いたくなったら、泣く」
「ははっ、なんだそりゃ」
「………いって、きます」
そうして俺は家を旅立った。
ああ行きたくない。
そう思いながら、俺は駅に向かう。
全国津々浦々。俺はまるでサーカス小屋で無理やり見せ物をさせられる動物にでもなった気分だった。
「おはようございます」
「おはよう、伊藤くん暗いね」
「プレッシャーで、ちょっと」
「まこちゃんプレッシャーとか感じないタイプじゃん」
「あれ?山口さん?」
「見えてなかったの!?」
「はい、ちょっともう、今心が限界で」
「まだ初日!」
っていうか、最初大阪だったっけ?
愛知県じゃなかった?と俺は1人首を傾げる。
そんな俺に気づいてくれたのは社長だった。
「名古屋に大きな取引先があるのは知ってるだろ?」
「ちょっと無茶な納期で持ち込まれがちなところですよね」
「そうそう。まあ製造や技術部にも無理をさせてるんだけど、ちょっと取引先と担当営業の相性が良くないから」
「はあ」
「若手でバリバリ働いてて、抜けが少ない営業に変えようかなと思ってね。社としてあそこを失うのは辛い」
「………もしかして、俺愛知県に着いたら1人で支社に行ってこいって流れですか?」
「そうだよ」
そんなあ!無慈悲な!と社長に言っても無駄だ。
この人は笑顔でゴリ押しする天才だから。
「山口さんって、社長から見ても成績いいんですか」
「そうだね、この年齢であれだけの仕事をしてると思うとかなり出来ると思ってるけど」
「けど?」
「山口くんは褒めるとうっかりする子だから」
少し困った顔で山口さんを見る社長。そして、そのうっかりに心当たりがあるのか山口さんは苦笑いを浮かべて笑っていた。
そんな3人で新幹線に乗り込む。
社長1人グリーン車で、俺と山口さんは隣同士の普通車の指定席。それを知った山口さんは社長に文句を垂れていたけど、俺は普通車でいい。
「グリーン車ずるいな」
「俺的には指定席なだけでもう十分です」
「それもそうか。名古屋ってなにが名物だっけ?」
「名古屋の名物より…もしかして俺、大阪での説明が終わるまで山口さんと一緒ですか?」
「当たり前じゃん。どっか遊びに行く?」
「そんな気力ないです」
「初日からそんな疲れてて大丈夫?」
大丈夫じゃない。
疲れというより、もう穂高さんロス。
帰っても居ない日々が、あの家に帰れない日々がこれから続くと思うとつらくてつらくて仕方ない。
「あ!分かった!彼氏と会えないから?」
「あ、図星?マジで?まこちゃんそんなに好きなの?」
「うるさいです」
まじで!?とケラケラ笑いながら、ついでだから色々教えてよ!と根掘り葉掘り聞いてくる山口さんを適当に流しながらの新幹線での時間は、それはもう、長かった。
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