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引くに引けず、出すに出せず、泣きそうな俺の視界にちらりと入ってきたもの。 穂高さんの、ネクタイ…… 穂高さんっ、穂高さんっ 必死に正気を擦って、ぎゅっと目を閉じて、縋るように穂高さんを呼んでみる。 「ほだ、か、さんっ」 居ないはずなのに、目を閉じると甘ったるく俺を呼び、仄暗い欲望をためた目で俺を見てる穂高さんがありありと浮かんだ。 「穂高、さんっ、ぁ、や、でちゃ、あっ」 頭の中の穂高さんがニンマリ笑って、いっていいよと告げた。 ただそれだけなのに、あれだけ必死に一生懸命擦っても出なかった精液がぴゅっと飛び出て来た。 「はぁっ、ぁ、足り、ない、よおっ」 やだ、やだやだ。 これまで練習して、ちゃんといけたら貰えたご褒美も今日は貰えない。 これ以上やっても俺が欲しい快感は絶対にない。 「ぐすっ」 精液を出せたのに、足りない。 それをどうにかしてくれる人は、ここには居ない。 俺はぐずぐず泣きべそをかいてシーツに転がり、そこでまた寝て、皺だらけのスーツ以上に悲惨なシーツにまた涙を流した。 それからのことは思い出したくもない。 精液を出しても満足しなくなった体を持て余し、それはもう完全に持て余して、ふと穂高さんを思い出してはバカな俺の息子がこんにちは!穂高さんいる!?って出て来て、居なくてひとりで白い涙を流していた。 泣きたいのは俺の方だ。 目を閉じて浮かぶ穂高さんは、俺のことをいじめて甘やかしてくれるのに現実には居なくて、それを何度も体感した。 ある意味元気に抜きまくったけど、満足感は低い。これほど質の悪いオナニーはしたことがないと言い切ってもいいくらい、なんのためにしたのか分からなかった(夢精防止のため)。 俺がそんな、もういろいろと廃れた週末を送ったことは誰も知るはずがなく、これまでと変わらない出張は続く。 せっかくの初沖縄で、初めて行った美ら海水族館。大きな水槽を前にして、ゆったり泳ぐ魚を眺めて、ふと思い出して後ろを振り返っても、穂高さんはいない。 こうして俺が振り返ったとき、いつも優しい顔して見守ってくれる穂高さんがいた。 穂高さんは、こういうところではよっぽどじゃない限り俺を急かしたりしなかった。今みたいに、あっちこっちに連れまわされることもなかったなと今になって思う。 穂高さんとくるために予習するつもりだったのに、あんまりできなくてごめんなさいと心の中で謝った。 北海道でも同じように、俺は観光地をいくつか案内してもらったはずなのに、どれも詰め込みすぎで忙しなくて、申し訳ないけどよく覚えていない。 俺の中で穂高さんが好きそうかなぁと思ったのは赤いレンガの建物だった。洋風なのにどこか和風で、こういうのをレトロっていうのか!と俺が少し感動を覚えたところ。 穂高さんは落ち着けるような場所が好きだと思うけど、観光地ってどこもそれなりに賑わっていて難しかった。 そうして転々と支社を回り続けて3週間と少し。 ようやく最後の茨城県にやって来て、本当に久しぶりに顔馴染みにあった。 「あ、教授」 「伊藤、久しぶりだな」 「教授のスーツとか変な感じ〜」 「伊藤のスーツもな」 そう言ってお互いにまじまじと見る。 大学時代はほぼ毎日顔を合わせた教授だけど、スーツ姿なんて学会の付き添いの時くらいしかみたことがない。 その時は教授のスーツなんかより、他の研究者の、俺とは全然違う視点の研究に興味津々で教授なんてただの背景だった(あるいは俺がそこに入るための入場券)。 「渡瀬教授」 「畏まってどうした?」 「学部生時代から今まで、本当にお世話になりました」 「ああ」 「この製品の持ち運びや保管に関して改良を考えたいと思っているので今後ともよろしくお願いします」 「嘘だろ?」 「本当です。社長がにっこり……してました」 「今度こそ無理だろ」 「酸化するから還元させればいいだけだけど、そもそも還元させると不安定すぎてすぐに別の物質になるし。前途多難です!」 「………伊藤のどこまでも折れない精神は強いと思うよ」 そう言ってぽんぽんと、これまた雑に俺の頭を撫でた。 教授の優しさは分かりづらい。 でも、不器用だけど褒める時にすることは穂高さんが俺を甘やかす時によく似ていて、その雑な手の感触に俺は余計に穂高さんが恋しくなった。

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