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第4話 まるでおまじないのように

 新生姜をスティックの形に切って、豚ばら肉を巻きつけて焼くこと数分。蒸すこと数分。中の新生姜が柔らかくなったら、醤油と蜂蜜で作ったタレをサッとかけて、白髪ネギに小ネギのみじん切りを皿の脇に添えたら出来上がり。  うちの店、夜に来るのは大概仕事帰りの人だし、小料理屋っていう時点で二十代前半の子はふらりと立ち寄ることはなくて。  若い子にはあんまりかなぁって思ったけど、でも、野良猫さん、本名、兎野公平さんは美味いって言ってた。すごく「美少年」、でも、うなじにけっこう派手なキスマークをつけてしまうような感じの二十九歳。 「んー、でも、山芋のサラダめっちゃ美味しかった。海苔と合ってて最高」  三度目の来年は、耳朶のあかちんが薄れてきた頃だった。 「そ? そっかぁ。でも変色しちゃうんだよね」 「へぇ、そうなんだ」  料理はあんまりしないようだ。 「えー、でもめちゃくちゃ美味かったのに」  初回は本当に野良猫みたいに警戒されてた。色仕掛け、みたいなことを初見でするあたりもなんというか、野良猫っぽかった。 「じゃあ……今日は、これ、食べてみて?」 「ブロッコリー……」  二回目は少し慣れてきたけれど、でもまだ野良猫みたいだった。  三回目は、名前を教えてくれたせいか、野良感がまた少し薄れてきて、警戒心がなくなってきた。と同時に、良く笑うようになった。  本当に良く笑うんだ。 「この前、何か野菜で美味いのあったらいいのにって言ってたろ?」  そして、毎回、ふらりとやってきては、次はこんなのが食べてみたいと言って帰っていく。だから、俺はそのリクエストに答えて、次のメニューを考えて。そうすると、それが出来上がった頃に君はまたふらりとやってくる。  もうそんなふうにうちへ来たのは今日で七回目。 「そ、ドレッシングに秘密があるんだ」  メニューを考えるのがクセになった。君が毎回、食べたいものを言って帰るから。  まるで宿題のように。  まるで、次にこの綺麗な野良猫がやってくるための、おまじないのように。 「……っ、ん、んっま! 何、これ! うっま!」 「美味い?」 「嘘みたい! 何これ、ただのブロッコリーだよね?」  そう。上出来だろう? これはなかなかの自信作だよ。 「秘密はドレッシング。ナッツをさ、燻製にしてみた」 「燻製?」 「そ、じゃじゃーん」 「……」  市場に仕入れへ行った時だった。帰り道、少し古びた道具屋があって、いつも気になっていた。ワクワクするだろ? そういうところ。で、時間あったしって、そこにこの燻製マシンを見つけちゃって、めちゃくちゃ値引きされてたから買ってみた。原価の半額、もうその時点でホイホイ買ってた。そして、買ったんだから使わないなんて損とばかりにありとあらゆるものを燻製にしてみたんだ。豚肉、チキン、魚にジャガイモ。そして、ナッツ。香ばしさが増して、風味が強くなったからそのままマヨネーズと醤油と合わせてドレッシングにしてみた。 「良い買い物しちゃったよ。少し古びてて塗装がはげてるから半値だったらしい。そのくらい、別に気にしないしさ」 「……へぇ、ラッキー、だったね」 「だろ?」  多少の傷くらい。燻製にするのに問題がないのなら、全然気にならない。 「違うよ。あんたじゃなくて、その燻製マシンがだよ」  少し沈んだ声だった。  良く笑うようになったから、そんな沈んだ声はやたらと目立つんだ。  彼はよくしゃべるし、いつも楽しそうだったから。その湖畔の水面が僅かに揺れたような静かで、冷たい声色は。 「だって、そうじゃんっ? それ、あんたが買わなかったら、廃棄だったかもじゃん。半額なんてさ」  冷たい声色なんて、不似合いなほど良く笑う君が一瞬見せた曇り空。 「でも、うん。めちゃくちゃ美味い! これはメニューに加えたら?」 「あ、あぁ、そうだね」  けれど本当に一瞬だった。すぐにその雲を払いのけて、青い空みたいに笑っている。笑っているけれど。なんだか――。 「……」  なんだか、顔色すら青い空みたいで。 「……けど、燻製かぁ、他のも美味かった? 今度食べて、……」  ふと、そういえば耳朶はどうかなって、思ったんだ。真っ赤に腫れて痛そうだったけれど、野良猫みたいだった君は消毒なんて舐めれば治るってほったらかしてしまいそうで。なんでか、自分のことを雑に扱って、どこかしらを痛くしてしまってやしないかって。 「……みた……」  心配になったんだ。 「……」  次は何を食べたがるんだろう。  次は何を君は欲しいんだろう。 「……ぁ」 「おーい、照葉-! あ、すまん。お客か……ぁ? けど、暖簾」  ガラガラと無作法なほど大きな音を立てて開いた戸。永井だった。俺を見て、その手前にいた彼を見て、混乱している。 「そ、それじゃ、俺、帰る。ごちそうさまでしたっ」  そして、彼は一瞬で野良猫のようにその場を立ち去った。 「…………何、今の。客?」 「んー、まぁ、それで、何?」 「あ、あぁ、プロポーズ、したからさ」  帰っちゃったな。 「へぇ」 「なんだよ! 結果っつうか、答え気にならないのかよ」  あ……。 「お前のその顔見りゃわかる」 「ぁ、そう? そうだった?」  次、何を食べたいか、言っていかなかったな。彼。 「一杯奢ってやりたいけど、真昼間だもんな。今度、夜にでも美穂子さんと来いよ」 「えーいいよー。照れくさいっつうの」  次、何を食べたいか、言っていってくれないと。 「おめでとう」  次のメニューを考えられない。 「ありがと」 「……」 「…………なぁ、さっきの綺麗系」  次のメニューを考案しないと。 「お前、そういうの疎いっつうか、鈍感そうだから、言っとくけど、あの感じ、きっとゲイだぞ? お前、狙われてんじゃねぇの? 気をつけろよー」 「知ってるよ」 「え? 知ってるって」 「別にお前が思ってるようなことはないよ」  宿題が、出なかった。 「これぽっちも」  これじゃ、彼がまた来るようにと、おまじないがかけられない。

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