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第7話 あったかい

「頬、これで冷やして」  店を閉めて、奥の住居のほうへと招こうとしたら、公平は足を止めて戸惑っていた。怖がっているのなら、店のほうでかまわないと思ったんだ。けれど、公平は怖くて躊躇ったんじゃなくて、遠慮をしただけだったみたいで、かまわず手を引っ張って、招いた。 「あ、あの、ごめんねっ! こんなのが店の前にいたら、お客さん来なくなっちゃうって……思ったんだけど」  明るいところで見ると顔をしかめたくなるほど腫れて痛々しい。ぶたれたと、暴力を振るわれたと容易にわかる真っ赤な頬。乱暴な言葉で威嚇をしていた電話の男。何をされたのかなんて、すぐに察しがつく。 「そんなの気にしなくていいから。頬、しっかり冷やして」 「……」 「沁みる?」 「……ううん」  また、薄着をしてる。肩を小さく竦めて寒そうにしているくせに。 「何か、あったかいもの作ろうか。お茶、コーヒー、あいにく紅茶はないんだ。あとは牛乳、かな。粉末のココアとかでもあればよかったんだけど」 「牛乳、好きじゃない」 「じゃあ、コーヒーね」 「……」  古びた家屋、ばーちゃんが暮らしてた頃のままにしてあるから、キッチンなんて洒落た感じはどこにもない。台所っていうほうがぴったりくるそこで粉末のコーヒーに砂糖、それから牛乳をたっぷり。 「はい、どうぞ」 「……あ、りがと」 「どういたしまして」  マグカップを両手で包むように持つと、温かさが心地良いのか目を細めて、湯気の漂う表面をふぅっと冷ましてる。ゆっくり、ふわりと湯気が揺れて。 「……訊かないの?」  儚げだった。 「……何を?」 「色々……全部」  吐息すら。 「あ、なんか、牛乳、多くない?」  勘付かれたかって笑ってみせたら、口だけへの字にして、でも美味しいと目を伏せる。ユラユラと手の中で揺れるマロン色をしたコーヒーを眺めた。 「男にさ、今さっき、捨ててやろうかって笑って言われたから、出てきたんだ」 「……」 「いらないって言われたから、出てきた」  彼はゲイだって知ってた。首筋に濃いキスマークをつけていたのを本当は一回だけじゃなく、数回見つけたことがあった。 「男運、悪いんだよねぇ……なんでだろ。毎回ろくでもないんだ。でも、今回が一番かな。最悪」  浮気クセのある男、だらしのない男、どれもこれもろくでもなかったけれど、殴られるとかはなかったからと溜め息をつく。 「もう……最近じゃ、怖いだけだった」 「……」 「気にくわないとすぐ物に当たる人だなとは思ってたけどさ」 「……」 「さすがに、ね……シラフでも、されたら、ね」 「公平は物じゃないだろ」  そこで、ハッとなんてしないで欲しい。驚いて、こっちを見るなんてことすら、もうおかしいんだ。 「物に当たるのだって、そもそもダメだろ」 「……」 「酒を飲んでる、飲んでないの問題でもない」 「っ」 「出てきてくれて、よかった」 「っ」  公平は唇を噛み締めて、マグカップをぎゅっと両手で握った。その反動で少し揺れた水面、少し動いた湯気。それに首を激しく振るから、クリーム色の髪も揺れてた。いつも綺麗に染めていたのに、それすら余裕がなかったのか根元だけが暗い色をしている。 「ち、違うの! 俺、借金あって、っていうか、その借金だって、前の男のなんだけど、甘い言葉でさ、十万って言われたてたのに、気がついたら百万とかで、けどサインしちゃってたから払わなくちゃいけなくて、今の男はすごいお金持ってて、俺肩代わりしてもらってたんだ。だから、ずっと言いなりっていうか。でもそれは、お金払ってもらったし、イヤだったけど、仕方ないから、けどっ」 「……」 「けど、もうそれ返済できたから、イヤだって言ったんだ」  言いなりになりたくないと。 「そしたら、急に殴られた。けどその時は酔っ払ってたしって」 「……」 「そのあとは引越しのお金とか貯めて、それで、今日、もう一回言ったんだ」  借金の肩代わりをしてくれたのは本当にありがたかった。でも、その分は返したし、だから、ここを出てきたい。引越しの資金ならあるから。もうあんたに迷惑かけないから。だから――。 「問答無用で殴られた」 「……」 「怖かった」  声が震えるに決ってる。 「俺、男なのに怖くてっ」  男だろうと、痛いことなんて怖いに決ってる。 「あんたの顔ばっか思い浮かべてた」  頬、真っ赤に腫れた頬に沁みないだろうか。 「ごめん。けど、照葉さんの笑った顔ばっか思い浮かんじゃって。顔見たくて、店まで来たんだ。でもこのブス顔で会えるわけないしさ。ちょっとでも見れたらって思った。暖簾仕舞うとこ、見れたらって。なのに、なんでか、店ちっとも閉めないし」  そんなにぽろぽろ泣いたりしたら、沁みて痛くなってしまわないだろうか。 「公平が来るかもって、待ってたんだ」 「……ぇ」 「今日、三時に来なかったから」  三時、夕方、君はその頃怖い思いをしてたんだろうか。 「だから、店、ダラダラ開けてた。常連さんとかに、珍しいな、まだやってるなんてって言われちゃったよ」 「……」 「公平を待ってたんだ」  君は俺が外に出てくるのを待ってて、お互いに待ちぼうけしてたなんてな。 「……痛い?」  頬に両手で触れると、微かに震えてる。 「ううん、痛くない。あったかい」  君の頬のほうがずっと熱いのに。叩かれて腫れたところが熱を持っているはずなのに。俺の掌のほうが温かいと嬉しそうに表情を緩める君。 「……そう?」 「……うん」  君を心から愛しいと思ったんだ。 「気持ち、い……」  頬を、腫れた頬を俺の掌に預けるように首を傾げて、柔らかい吐息を一つついたら、本当に心地良さそうに目を瞑る君を。 「……あったかい」  とても愛しいと思いながら、そっとキスをした。

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