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第8話 だ、だ、だ、だ……だめだ
「お味噌汁は?」
「大丈夫……」
「お新香は?」
「へーき……」
「お茶は?」
お腹たぷたぷになるじゃんって、君が笑う。
真っ赤に腫れた頬は痛々しいのに、まるで草原でピクニックでもしているみたいに笑って、椎茸の佃煮にぎりを頬張るんだ。
そんな君を愛しいと思った。
「どう? 佃煮にぎり」
「あ! ごめん! 感想言わなかった! 美味しい、ですっ! えっと、甘くて、でも椎茸の風味があるから甘いだけじゃなくて。うん……すごい美味しい」
律儀に感想を伝えてくれる君を恋しいと思った。
「やっぱり、お茶」
「いいってば!」
でも、おにぎりに甘いコーヒーっておかしいだろう? 食後ならまだしも、食事中になんて合わない。
「いいよ。大丈夫……あのさ、椎茸の佃煮にぎりも甘くて、コーヒーも甘くて、どっちも甘くて、どっちも違ってて合わないのに」
ほら、やっぱり合わないだろ? お茶のほうが。
「なのに、とっても美味しい……なんか、すっごい美味しい。初めてこんなに美味しい夕食食べた」
「……」
そう言って、優しく笑って、丁寧におにぎりを口にする君を大事にしたいと思ったんだ。だから――。
「うち、おいでよ」
だから、これは自然と出た言葉だった。古いけど部屋なら余ってる。一軒家だからさ。遠慮なんてしなくていいんだ。
「…………は、……え?」
「うちにおいでよ」
「でも、それは、だって」
目を丸くなんてしないで。迷惑なんかじゃないのだから、そんな眉を歪ませないで。
「俺がそうして欲しいだけ」
「……」
「うちに、来てくれたら、いいなぁっていうかさ」
「…………」
「けど、今まで、そのさっきの電話の男みたいなことじゃなくて、自由にさ。君が選んで。君がうちなんてイヤなら別の場所でもいい。ただ、今までみたいに、できたら顔を見せて欲しい。楽しかったから。俺が。君に毎日おにぎりを食べてもらえたらいいなぁっていうか。その、顔が……見たい」
こんなのおっかないや、って君が逃げてしまわないように、急いでたくさんの言葉を付け加えた。
怖がらないで。驚かないで。遠慮なんてする必要がない。君の顔が見たいだけ。君にご飯を作りたいだけ。
「…………い、いの?」
君を大事にしたいだけ。
「もちろん!」
「……ほ、本当に? え、そ、そしたら、お金、今、ここにっ、家賃はいくらなのかとか」
公平が慌てて封筒をズボンの後ろポケットから出した。皺くちゃになっていて、その皺一つ一つがさっきまでの君のいた場所がどんなところだったのかを教えてくれている気がした。
謝りながら「くしゃくしゃなんだけど」って小さな声で寂しそうに言う。そんな君の白い手が皺を伸ばそうとするお札数枚の中から、一枚、ゼロが三つ、千円札を一枚引っこ抜いた。
「おにぎり一つにコーヒー一杯、じゃ、ちょっとぼったくりだから、デザートもつけましょうか?」
「……」
「これだけもらっとく。あとは取っておきなよ」
「で、でも! そういうわけには!」
「あ、でも、これは金取らないから言うこときけよ、ってことじゃないからね」
自分ができる一番悪い顔をしてみせたんだ。けっこうニヒルに笑えたと思ったんだけど、迫力不足だったかな。君はちょっとだけ笑って、頬を赤くしながら頷いた。
「少しゆっくりしなよ」
「……」
「千円で充分、大丈夫。さ、そしたら、腹も膨れたし、お風呂入っちゃえば? それで出てきたら、この千円のおつり分、デザートを用意しておくから」
秋だからこの時期限定のアイスなんてどうだろう。さすがに小料理屋の冷蔵庫にはないけれど、君がお風呂に入ってる十数分の間に、斜め前にあるコンビニへ走れば、美味しいのが買えそうだと思うんだ。
「おいで」
「……」
ここが今日から君のうちになる。
「風呂場、こっち」
「……うん」
「あ、今更なんだけど、客用の昔ながらの布団でも文句はなし。お風呂はちょっと熱めだから、傷に沁みるかも。水で薄めてもらってかまわないから。バスタオルと着替えは持っていくからさ」
「あ、あのっ」
「使い方、大丈夫だと思うんだけど、わかんなかったら言って?」
俺も早くアイスを買いに行かなくちゃ。もしかしたら風呂の使い方がわからないと君が困って俺を待つかもしれない。とにかく古いからさ。
「ねぇ、照葉さんっ!」
俺の服の裾をクンと引っ張って、俯いて足元だけを見つめた君。
君は自覚がないだろうが、うなじが無防備に晒されていて、これから入浴タイムに入るんだっていうのも相まって、少しだけ身体が熱を覚えてしまう。君は男なのに、恋しいと意識してしまった俺には、細く白いうなじはとても綺麗で直視するのは、少し、さ。
何か他の事でも考えてないと。
「あの……ありがと」
「どういたしまして。風呂熱いかもだけどね」
「うん」
「布団、カビ臭くはないけど、お洒落感は全然ないよ?」
「気にしない。そうじゃなくて、その」
好きな子だと、同性であってもそのうなじさえ、こうも目の毒になるとは思いもしなかったなぁって。
「その、さっき、キスしてくれた、でしょ?」
「いや、こっちこそ、急にびっくりさせたけど、俺は」
君のことが好きだから。君は俺の好きな子だから。
「俺、あの時震えてたって気がついた。照葉さんがしてくれたキスのおかげで」
「……」
「本当に怖かったんだ。震えが止まらなくて、寒くて痛くて、怖くて、だから、ありがと」
好きだなぁって思って、ついキスをしてしまった。いきなりでさ、君の気持ちを確認もせずにしたことはすまないって思うけれど。でも、俺は君のことを――。
「すごいあったかくなった」
「いや……」
「ゲイじゃないのに、男にキスなんて、やだったでしょ?」
君のこと、好き、なんだけど。
「ありがと。安心した。あと……照葉さんにとっては猫にするみたいなものなんだろうけど」
猫にキスは普通……するけど、いや、そうじゃなくてさ。
「嬉しかったんだ」
これは。
「じゃ、じゃあ、お風呂、借りるね」
「あ、あぁ、どうぞどうっ」
ゴンッ!
これは、あれだ。
「だ、大丈夫? 照葉さんっ」
「だ、だいじょぉぶ、へーき、あはは。柱にぶつかっただけだから」
「だ、だけだからって」
だ、だめだ。
キスで安心できたって、猫にするキス、それって穏やかな和み系で、全然ダメだ。
「ゆっくり、どうぞ」
これは、全然恋愛対象、外、だ。親愛のキスになってる。恋愛感情ゼロの親しみとかスキンシップとかの類のキスだと、思われてる。
「はぁ……マジか」
風呂場を出て重い、とても重い溜め息を一つついた。
「とりあえず、アイス、買ってこよ……」
スキンシップ、親愛の、つまりは恋愛に繋がる可能性がほぼ皆無なキスってことだろう? キスをしてお礼を言われたんだから。親切のキスって。
「安心、かぁ……」
つまりは安全ってことだ。安心安全。
それに、俺言っちゃってるしね。
――お礼いらないよ。っていうか、その、俺……なんて言えばいいのかな。あー、つまり、女性を好きになるっていうか。
あそこで、ゲイじゃありません。男性は好きになりませんってさ。いや、けどっ、そういう性別を超えた好きっていうのもあるだろう? だから、なしってこともないだろ?
「なし……」
「はい。梨です」
「えっ? なんでっ!」
「いや、そう言われても」
無意識だった。気がつけば、すでにコンビニで、すでにレジカウンターで、秋の味覚、期間限定のちょっとお高いアイスが二つ。
「スプーンはお付けしますか?」
「は、はい」
気がつけば、梨シャーベットと、和栗のモンブラン、どちらも美味しそうなアイスを二つ、買うところだった。
「ありがとーしたぁ」
アイスを二つ買う男の真っ赤な額を見て、少し、いや、けっこう、店員さんは笑うのを堪えていた様子だった。
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