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第11話 優しい人

「あ……しまった」  あると思ったんだけど、なかったのか。白菜。代わりにレタスなら、あるけど。 「うーん……買いに行くか」  お通し、白菜にしようと思ってたんだ。細切りのこんにゃくと一緒に甘辛く炒め煮にしようと思ってた。 「買い物っ? 俺、行ってくるよ」  店を閉めた後、数時間後にまた夜の営業で開けるまでの間は公平が店の準備を手伝ってくれている。  まだ、頬には薄っすらとだけれど、青色が残っていた。それこそ打撲だと一目瞭然でわかる青痣が。 「何? 買ってくるのは」  手伝いができるぞ、と表情をパッと明るくさせた。二十九歳、俺と同じ歳だとは思えないくらいに綺麗な笑顔。  でも、知ってる。  俺のスマホが振動すると肩を竦めることを。条件反射なんだと思う。もう公平のスマホは捨ててしまったから。不燃物の曜日に他のゴミと一緒に捨ててしまった。個人情報とか契約とか関係ない。あのスマホはただ「所有物」を呼びつけるための呼び鈴でしかないからと、公平がボトリって大きな音と一緒に、ゴミ箱の中に落っことした。  それでも、振動音に怯えるんだ。 「一緒に行こう」 「俺ひとりで行けるって。そしたら、照葉さん休めるじゃん」  電話の主だった男が君のことを探してるかもしれないだろう? 「平気。今までは全部一人でやってたんだ。今の時点でめちゃくちゃ助けてもらってる」 「でも、もっとゆっくりできるのに」 「ほら、行こう」  大切な君を守って、大事にさせて欲しいんだ。  手招くと、ふわりと笑って頷いてくれた。 「ね、俺、髪、黒に戻そうかな」 「なんで?」 「んー、だって、接客やるのに黒のほうが印象マシじゃない? おにぎり屋さんでこの髪色、合わなくない?」  夕陽に照らされて公平のクリーム色をした髪が陽の色に染まっていた。綺麗なのに、そう自然とついて出た言葉に、ちょっと俯かれてしまった。 「しょ、照葉さんってさ、そういうのナチュラルに言うよね」 「そう? あ、ちょっと待ってて」  たまに来るスーパーマーケット。いつもは契約してる昔からの八百屋さんが定期便で届けてくれるか、自分で市場に買いつけにいくかなんだけど。今日は白菜だけだから。  そのスーパーマーケット手前にある駐輪場で中年の女性が困ってた。  何かの拍子にぶつかったとかでドミノ倒し状態の自転車たち。その倒れた自転車の中のどれかがその人のなんだろう。 「どれですか?」 「……え? あ、えっと、赤い自転車なんですけど」 「赤いの、ね」  こりゃ、困ったなぁと溜め息混じりのしかめっ面にもなる。その人の自転車はドミノ倒しの真ん中当たりだった。  ハンドルが隣の自転車に絡まったり、サドルが引っ掛かったり、スタンドが邪魔で起こせなかったり。  それを一台一台直していく。 「どうぞ」 「あ、ありがとうございます」  赤い自転車がなくなって、それでもまだ倒れてるのがあるから立て直しておいた。そう大変なことではない。それでもまた手伝えそうだと自転車に手を伸ばす公平を慌てて止めた。そして「ほら」って手を見せた。 「真っ黒……」  だろ? だからそのまま待ってて。  にこりと笑って。倒れた自転車をあと数台だけ直して、完了。 「早くしないと、開店準備間に合わないからねー」 「わかってる」  トイレで手を洗って、出てきたところでおじいさんが通り過ぎた。腰が悪いのか、少しだけおぼつかない足取りで、トイレへ。 「開けますよ」 「あぁ……すみません」  このスーパーのトイレ、なんでかすごい重いんだ。だから、数歩引き返して、扉を押さえていてあげた。「どぉもぉ」とにこやかに会釈をするその人を見送って、売り場へと戻ろうとしたら、君が壁のところに寄りかかって待っていてくれた。笑いかけると、笑ってくれて、歩み寄ると当たり前のように隣に並んで歩いていく。それを嬉しいと思ってるなんて、君は思いもしないんだろうなぁ。  君のクリーム色の髪は綺麗で柔らかくて、一度触れてみたいなんて思ってることも、知らないし。他にもたくさん……って、危ない人みたいになってるけど。君が俺の頭の中を覗くことがあったら大変だけれど。 「あ、公平、ごめん、待ってて」  中学生くらいの女の子が数人。みんなで料理でもするのかな。一番高い棚の段にある海外製のお洒落なパスタに手を伸ばしてた。普段は店内のどこかしらに台があるんだけれど、今ここにはないから、彼女たちの中で一番背の高い子が手を伸ばして取ろうとしてる。 「こっち?」 「え? ぁ、はい……」 「どうぞ」  リボンの形のパスタ、なんだっけ、名前。  普段、店では使わない洋風な食材はすごく疎いんだ。和食中心だからさ。リボンの形の科パスタは、えっと、あぁ、ファルファッレだ。  それで、貝の形がコンキリエ、車輪みたいなのがル、なんとか。 「公平はパスタって好き?」  ルオータだ。調理学校で習ったのに、使わないと忘れるもんだ。 「好き、だけど」 「俺も好き。トマトは?」 「好き」 「よかった。調理学校でさ、トマトソース作るのめちゃくちゃ美味しくて、好評だったんだ。今度、まかないで作ってあげるよ」  たまには洋食のまかないもいいかなって。 「あ、和食に使われる魚をフライにしてトマトソースをかけるのもいいね」 「……照葉さんってさ」 「うん?」 「優しいよね。すごい優しくて、素敵だと思う。倒れてる自転車起こすのなんてめんどくさいじゃん。自分のじゃないし。女子中学生に話しかけるのもちょっと躊躇う。おじいちゃんにもフレンドリーにしてさ」 「……」 「手、汚れてまで、人の自転車直さないでしょ。汚れちゃうじゃん」 「……そりゃ、自転車、真っ黒だったからね」  でも、あれは女性一人でやるのは大変だ。俺なら一分二分、手を洗う時間を合わせても数分でしかない。 「面倒な他人なんてほっとくでしょ」 「……」 「俺みたいなのもさ」  普通はほっとくもんだ。怪しくて、こんな髪色をしてて、どっからどうみてもサラリーマンじゃない。もしかしたらヤバイ仕事をしているのかも。いい歳して定職についてないのかも。触らないでいよう。近寄らないでいよう。少しばっちいかもしれない。  ばっちいものは、誰も触らない。 「面倒だなんて思わないけど」 「……」 「公平が言ってるのが自転車のこととか、トイレの扉とか、さっきのパスタのこととかなら、別にたいしたことじゃないよ」  数秒手伝っただけ。通り過ぎ際、ふっと手伝っただけのこと。自転車だって別に。 「でも、面倒な人をうちに住まわせるのは、たしかに面倒だ」 「な、ならっ」 「ただ、俺の隣には面倒な人はいないから」 「……」 「君を面倒だなんて思ったことはないよ」  だから、やっぱりたいしたことじゃない。 「あ、それとその髪色も好きだし、黒髪の公平も見てみたい。だから、どっちでも」  そして、君が面倒じゃないと笑う俺にポカンとしている今のうち、こっそりと、ドサクサ紛れに俺は自分の邪な願いを伝えておいた。クリーム色の柔らかい髪色が色っぽい君も、黒髪で妖艶な君も、俺はどっちも素敵だと思うから。

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