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第14話 秋服の難しさよ

 隣の部屋にいる君にとってはただの外出なのかもしれない。  でも、俺にとっては好きな子とのデートみたいな。一方的だけど。 「やば……ろくな服がない……」  ファッションなんて最近ちっとも気にしてなかったもんなぁ。二十九歳でそれってどうなんだと少し危機感を覚えるけれど、もう店のやりくりだけで必死だったし、デートなんてもうずっとしてなかったから、適当なものしかない。 「スーツも捨てたしなぁ」  いや、雑貨屋行くのにスーツってどうなんだ。っていうかただの外出に気張る必要ないだろ。公平だってきっと気にせず普通に普段着だろうし。  いや! いいんだ! 公平は普段着だってなんだってかまわないし。別に普段着でも可愛いし。お洒落なんてしなくても充分顔が可愛いから、って何を言ってるんだ俺は。  クローゼットなんて洒落たものが古びたばーちゃん家にあるわけはなく、引き出しを全部開けては締めて、開けては締めてを繰り返し、服をほじくり出していた。秋、イヤ、十月終わりって服がさ、微妙にないっつうか。カーディガンに長袖Tシャツにズボン、ってくらいしかないし。っていうかそれ以外がない。 「あ! っつうか、朝飯!」  慌てて部屋を出たら、ちょうど、君も部屋から出てきたところだった。 「「……あ」」  二人ほぼ同時で、声を出したのもほぼ同時で。 「「おはよ」」  そしたら、朝の挨拶も同じになった。  三つが見事に同じだったことに、二人して同時にまた笑い出す。 「すごいタイミング。ね、照葉さん、あの、今日、何か予定あった? その出かける以外で」 「? ない、けど」  予定は君との、俺にとってはデート設定になっている外出だけだ。他に予定なんてない、けれど。いや、むしろ、公平のほうが予定あったとか? せっかくの休みに同じ店で毎日顔をつき合わせてる野郎と外出よりも友だちと出かけたいんだっつうのって思った、とか? 「そ? あの、部屋、バタバタ音がしてたから、急いでるのかと」 「音? あぁ! 音は、あれは、引き出しを……珍しいね、おでこ出してるの」 「! こ、これはっ!」  少し長い前髪がまたセクシーでよく似合ってるんだけど、今日は珍しくその前髪を全部横に流してピンで留めていた。大きな、よく、髪が邪魔になる洗顔との時なんかに使うような美容用の髪留め。  言われて、耳まで真っ赤にしながら、いつもはあまり出さない額を掌で覆い隠した。 「そのっ、寝癖があって、変だから、ピンで押さえつけてた」 「……へぇ」  君の寝癖か。 「ちょっ! 照葉さん!」  ちょっと見てみたくなるだろ? 好きな子の「隙」っていうのはさ。だから、サッとピンを外してしまうと、たしかに少しだけぴょんと前髪が跳ね上がった。でも、ほんの少しだけ。それでも、いつもは麗しい黒髪の君には不服なのかもしれない。慌てて隠そうとするから、ごめんねって、付け直してあげようと思ったんだけど。 「あ、あれ? これ」  けっこう、なんだろ、上手に留まってくれない。ただ留めればいいだけなのに、簡単そうなのになかなかさっきみたいにできなくて、まるでわざとできないフリをしてずっと髪に触れてるみたいになってるけど、でもそうじゃないから。  でも、柔らかい綺麗な髪だなぁ、なんて思ってみたり。 「ぶきっちょ」  クスクス笑いながら、スッと、パッと留めてしまった。  そして、気恥ずかしそうに俯くと、また額を隠してしまった。 「服なんて気にしないのに」  残りの白米にお新香に納豆。それから、値引きされてた冷凍のシューマイをチンして、ボリュームをプラス。そんな朝飯を食べながら、バタバタした音はタンスを開け閉めしていた音だって打ち明けた。ろくな服がなくてって。 「いや、本当に普段着しかないんだよ。って、別に、普段着だからダメってこともないけどさ」  君にとってはただの外出だろうから。俺の服なんて気にしないよな。そりゃそうだ。 「だって、照葉さん、普通にそのままでカッコいいでしょ」 「ぶほっ! げほっごほ!」 「だ、大丈夫?」  い、一瞬、あの世が見えたかと思った。  あまりに突然褒められて、有頂天通り過ぎて天国行きそうだった。喉にシューマイを詰まらせて。 「だ、大丈夫、です」 「はい。お水」 「ありがと」 「でも、そっか。タンスの音か……」  てっきり他の用事があるんだと思ったと、口元だけほころばせて、今さっき俺は喉に詰まらせた武器にもなると新発見したシューマイを、皿から一つ箸で摘んで、パクリ。そのまま口をもぐもぐと動かして食べている。  寝癖はどうにかなおったたらしく、もうピンは留まっていない。 「なんだ……そっか……」  そして、額を隠す髪を少し指で整えて、お新香をご飯と一緒に食べている。  見すぎ、かもしれない。  君の仕草ひとつひとつ、俺はたぶんちょっと見つめすぎてる。 「そしたら、行くの何時くらい?」  綺麗だなぁって、見つめすぎた。 「照葉さん?」 「あ! えっと、何時でも!」 「そ?」  いつか、バレそうだ。でも、君はよく伏し目がちだから大丈夫かな。あまり目が合わないから。 「公平は? 何時頃だと都合が良さそう?」 「全然、いつでも……」 「そう?」 「うん」  目を伏せてることが多いから。君の睫毛がとても長いことを知っている。それが綺麗だなぁってまた見つめてる。見つめすぎて、慌てて視線を外して。怪しまれないように、またこっそり君の長い睫毛を観察するんだ。  ほら、今も、目を伏せてる。 「そうか……ここにも受難が待っているのか」  靴、靴は、ちょっとねぇ……ねぇって、乱暴な言葉での「ない」って意味じゃなくて。  これは難関だ。靴こそろくなのを持ってない。革靴ならちゃんとしたのがあるけど、革靴じゃ微妙だろ。サンダルってわけには十月の終わりでそんなの無理だし。つまりは一択しかないわけで。いくつかある中で一番綺麗なのを吟味していた時だった。 「……照葉さん」 「……」  さっき、見つめすぎは気をつけないとって思ったのに。 「準備、終わったんだけど……」  デート、君にとってはただの外出、それなのに、やっぱりどこか洗練されている綺麗な君の姿にドキドキして、注意しないといけないことも忘れて見惚れていた。 「あ、うん……」  そしたら、君と目が合ってしまって、普段は伏せてしまっている瞳が。長い睫毛の奥の黒い瞳がとても綺麗で、怪しまれるのも気にせず、しばらく見つめてしまった。

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