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第17話  今は違う

「あの……おは、よ……」  君は少しだけ朝が弱くて、朝は、少しだけあどけない。 「おはよ。昨日は遅くまでごめんね。つき合わせて」 「ううん」 「もっと寝ててもよかったのに」  そんな君を見つけられたことに嬉しかったりしてるって、君は知らない。 「ううん。大丈夫」 「そ? 朝飯、食べる? 昨日、途中までけっこう酔ってたでしょ? 味噌汁作ったから。あとは……納豆とかでいい?」  振り返ると、口元を少し余った袖で隠しながら、コクンと頷いた。そしたら、発見した。後頭部、ちょっとだけ寝癖で髪が跳ねている。でも、柔らかい猫ッ毛だから、あっという間に、それこそ、ひと撫でしたら元通りなんだ。 「そっち、座ってて」 「あ……う、ん」  あ、本人が寝癖に気が付いた。慌てて手で何度か後頭部を撫でて、そしたらほらもう寝癖が消えた。優しい君の柔らかい髪。 「ね、照葉さん……」 「んー」 「昨日のさ」 「……」  君は、知らない。君にほんの少しでも、男として意識されたいって思ってることを、知らない。でもいつか、その寝癖みたいに、ふと気が付いてくれたら、なんて。 「昨日の、あの女の人ってさ。その、恋人……だったりする?」 「……だったりした、かな」  彼女にはかっこ悪いところを見せたくなかった。ダサいと思われたくなかった。もちろん、好きな子の前では良い格好したいよ。君にカッコ良いって思われたいよ。でもなんだろう。それとは違うんだ。 「今は、違うよ」  ないんだろうけど。もしも、万が一にも、君が俺を好きになってくれることがあるのなら、カッコ良く繕ってない俺を好きになって欲しい、なんて、思った。  わかってる。わかってるよ。人それぞれ好みっていうのがあるんだから、恋愛対象が同性っていう大きな括りの中には入れたって別にそれだけの話でさ。そこから、好みのタイプっていう括りに入れるかどうかなんて、わからない。  けど、もしも、万が一にも、億が一にも、君に好かれることがあるのなら――なんて、思ってさ。話たんだ。カッコ悪い自分のことを、君にだけ晒した。 「……そっか」 「公平?」 「あ! あの! 朝食、俺も手伝う!」  一瞬、目を伏せて、君が何かを思った様子だった。とても短い、瞬き一つくらいの時間。 「ありがとう。そしたら、お味噌汁よそってもらえる?」 「うん……」  けれど、すぐにまたいつもの君に戻ってたから、俺は――。 「それでは、お会計、五百二十円になります」  まだ少しぎこちない公平の接客をチラッとだけ見てから時計へと視線を移す。もう三時半だ。お客さんもここでちょうど途切れたし。 「公平、暖簾しまってもらってもいい?」 「あ、うん」  そしたら、店を閉めて夕方の準備をしよう。雨が降りそうな空模様だから、今日はお通しそんなに準備しなくてもいいかもしれない。客足少ないかも。  公平に食べさせる昼食のかまないはどうしようかな。 「公平、お昼、どうしようか。チャーハンとかでも、い……い」  カラカラと出入り口の戸を開ける音がした気がしたから、てっきり公平だと思ったんだ。自分の声も邪魔をして、聞こえなかった。 「こんにちは……」  彼女の、とても高いヒールが鳴らす音が。 「……」  顔を上げたら、そこに知美がいて、長身で細身の彼女によく似合うスリムシルエットのスーツは、やっぱりここにはとても不似合いで、この古びたおにぎり屋の中では、まるで合成みたいに思えた。 「ごめんなさい。お昼休憩なのに」 「……いや、別にいいよ。仕事は休憩時間? お茶でいい?」 「あ、うん。外出の、ついでっていうか。お茶、ありがと」 「そっか。相変わらず忙しそうだな」  短くした髪を耳にかけるのがクセなのか、その耳の形にくるんと髪が跳ねていた。それをまた少し邪魔そうに耳にかけて、髪切って失敗しちゃったって笑ってる。  切ったら逆に邪魔になってしまったんだと、笑っていた。 「昨日は、ごめんなさい。その、皆、少し酔ってて」 「いや、田中とかは、知美のこと好きだったから」  そんなわけないって、謙遜しながら、また笑った。以前なら、上品な笑い方が魅力的だと思った。 「よく、ここがわかったね」 「前に少しだけ話してくれたでしょ? おばあ様がおにぎり屋さんを営んでるって。それで……ご実家はもう引っ越されたみたいだったし」  彼女と付き合っていた時に暮らしていたマンションはすでに引き払ったし、両親も海外に本格的に移住することになったから、実家も手放してしまっていた。だからわからないだろうと思ったけど。  そっか、俺は知美にここのことを話したことがあったんだ。  どうして話したんだろう。こういう小さな店、しかも洒落っ気ゼロの店なんて、同期の連中はどこか見下す感があったから、彼女にも話したことなんてないと思ってた。 「あの、さっき外で暖簾をしまってた方って」 「あぁ、ここで働いてるんだ」  暖簾を仕舞おうと外に出たところに、知美がいた。公平は昨日見かけて、今朝も彼女のことを気にしてたくらいだから、気を利かせてくれたつもりなんだろう。知美を中へ案内すると、話にくいだろうからって、そそくさと自室へ行ってしまった。  気を使わせた。  つまりは、まぁ、邪魔をしないようにって気遣われてしまった。 「……あのっ」 「?」  何か言おうとして、やめて、君が困った顔をする。綺麗な作りをした顔を歪ませて。 「休憩じゃないんだろ? 大丈夫? 雨降りそうだし」  仕事、いつも外出から戻るとデスクに山盛りに詰まれるほどになったりしてたっけ。それをいつまでもこなせないなんてあっちゃいけなくてさ。必死だった。けど、知美は優秀だったから、そう慌てることも、必死になることもないんだろう。  そんな君に引け目があったんだ。 「あ、うん」 「あ、そしたら、待ってて」 「え?」  にぎるの早いんだ。公平にも最初驚かれたっけ。 「これ、定番だけど、鮭にぎり」 「……」 「夜食に食べてよ。テイクアウト用の箱だから、そのまま捨てていいし」  まさか君に自分のおにぎりをごちそうする日が来るとは思わなかった。もう会うことはないだろうって思ってたから。 「仕事、頑張って」 「一人でやってるのかと思った。人手……足りてない、なら」 「また、降り出すかもしれないから、雨」  だから、早く帰ったほうがいい。  ――ちょっとだけ、待ってて。  そうやって公平のことは引き止めたけれど。黒い長靴を貸してあげたけれど。 「じゃあ、知美」  君のその上品なスリムスーツにあの長靴は決して似合わないだろうから。君にはあの長靴は不釣合いだから。 「気をつけて」  別れたんだ。きっと、最初から、俺らは似合っていなかったから。

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