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第18話 あの時、きみは
カシャーンッ!
皿の割れる音と、公平の慌てた悲しそうな謝罪の声。これで今日四回目だ。
「公平、いいよ、俺がやるから。また手を切る」
「だ、大丈夫!」
「いや、ホント、切るから」
さっきも大丈夫って言っていた。けれど、もう今日は夕方からずっとこんな調子で、失敗続きだったから。このちょっと前に皿を割った三回目の時は指切ったし。
「……ごめん」
「昨日、疲れたんでしょ。夜もつき合わせちゃったし。待ってて、ホウキ持って来るから。そんで、公平はもう上がってていいよ」
「やる! 掃除!」
「大丈夫。また怪我をしたら大変だから」
そして、そっと絆創膏を二枚も重ねて貼ってある痛そうな指に触れないよう気を付けながら手を掴んだ。傷に響かないようにおっかなびっくりで、そして変に思われないように、君のことを傷つけるつもりはないと遠慮がちに。
「休んでて」
君を怖がらせないように。
「ごめんなさい」
その時、注文を頼みたいとお客さんに呼ばれた、今いるお客さんたちが帰ったら、タイミングを見て店を今日は仕舞おう。時間的に少し早いかもしれないけど、そう大幅に早くするわけじゃないから、常連さんの迷惑にはならないだろ。
「謝んないでいいよ」
笑って気にしないでと言ったけれど、君の表情は曇ったままだった。謝らないで、皿なんてたいしたことない。それよりも指を怪我させてしまったことのほうが俺にとってはイヤなんだって、ちゃんと言いたかった。
「すみませーん」
「あ、はいっ」
でも、時間がなくて笑顔を向けるだけしかできなかった。
「今日は、本当にごめん。俺、お皿っ」
「いいって、大丈夫」
「っ」
「指、平気? 絆創膏取り替えよう」
手をそっと掴むと顔をしかめたから、まだかなり痛いんだろう。
けっこう深く切った。しかもガラスの破片の傷って切れ味のせいか、血がすごい出るから、一枚じゃ到底足りなくて、すぐに真っ赤に染まった絆創膏を剥がして、また新しいのに取り替えて、今度はそれを二重にしたくらい。
「あとでいいよっ。あの、それより照葉さん、お風呂沸かした、から」
「じゃあ、君が先に」
「俺は、後ででいい。これだから、時間かかるし」
「……そう? じゃあ、先に」
今日は雨なのに客足があまり途絶えなかったから忙しかった。そして面白いことに客足と一緒に雨雲もどこかに行ったようで、暖簾を仕舞おうと外に出たら、雨は上がっていた。一雨ごとに寒さが強くなるから、きっと今夜は少しまた深く冷えて、明日、またちょっとだけ冬が近づいてくる。
「うん」
そろそろ、君と冬物の服を色々買い揃えたほうがいいかもしれない、そんなことを考えていた。
「あの、照葉さんっ」
「?」
「絆創膏、ありがとう」
「……うん」
そんなことばかりを考えていた。
「じゃあ、お風呂先に入らせてもらうね」
「……うん」
君のことばかり。
君とまた出かけたいなぁとかさ。
また、俺はデートみたいに浮かれてしまいそうだから、今度は気をつけないと。また連れまわして疲れさせて、怪我をさせたらイヤだから。
それと、黒髪だから、グリーンとか似合いそうだ。ストールとか、どうだろう。
「……誕生日、いつなんだろ」
意味もなくプレゼントとかしたら怪しい?
でも、いつもたくさんやってくれるから、お疲れ様ってことでなら受け取ってくれる?
いや、どうかな。すごい恐縮しそう。皿だって気にしなくていいのに、肩を竦めてた。
「怪我、させちゃったな……」
痛いこと、一つもさせたくなかったのに。
「……」
湯に肩まで使って目を閉じると、君の表情一つ一つを思い出してた。
「さてと……早く風呂の順番を変わってあげないと。
はにかんで笑う顔。すぐに赤くなる頬、一生懸命にメニューを暗記しようと頑張るしかめっ面、最初の頃の、レジに不慣れだった困惑顔。最近の、レジで見せる優しい横顔。お客さんへ向ける、ふわりと柔らかい笑顔。それから――。
「公平、風呂、どうぞ」
それから。
「公平、風呂どうぞー」
それから、さっき。
「公平? 風呂……」
さっき、どんな顔をしてたっけ。
「公平っ?」
皿を割ってしまったと悲しそうな顔をしてた。指を切った時はそんなことよりも、失敗してしまったことに落胆してた。四回目、ついさっき皿を割ってしまった時は、ものすごく悲しそうで。
「公平っ!」
ほんの数分前は? どんな顔をしてた?
――あの、照葉さんっ。
ちょっと前だぞ? ほんの少し前の、公平の表情だぞ?
「公平っ!」
――絆創膏、ありがとう。
ありがとうって言った、あの時の君は。
「公平っ!」
泣きそうだった。
「公平っ、嘘、だろっ」
ありがとうって聞こえたけれど、あの表情だけを見たら別の言葉が思い浮かぶんだ。泣きそうで、悲しそうで、寂しそうな顔。
「公平っ!」
まるで「さようなら」って言っていそうな、そんな顔を、していた。
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