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第19話 愛しいと

 どこを探してもいなかった。  トイレも押入れも、店も、物置も全部探したけれど、君はいなかった。けれど、君と一緒に買い揃えた服は全て残ってた。ただ肝心の中身がどこにもいない。 「公平っ!」  誰かを大きな声で呼びながら走り回る男に行き交う人がぎょっとしてる。でも、そんなのどうでもいい。だって、君がいないんだ。  嘘、だろ?  何度呼んでも返事がないなんて。 「公平!」  それと、部屋にはポツンと紙切れが置いてあった。 『お皿、ごめん。  お皿代です。  それと、色々してくれて、ありがとう』  なんだよ、これ。 「公平!」  置き手紙ってなんだよ。なんで、急に。嘘、だろ? なんで。 「公平!」  なんで? 「こ…………」  ふと、足が止まった。  気が、ついた、とか? 俺が君を好きだって気が付いて、また、前までみたいになるのかと怖くなった? 暴力でがんじがらめになるほど固執されるって。それとも、それ以前に俺なんかに好かれて迷惑だったから出て行くことにした?  俺に好かれるのが迷惑で、なのだとしたら、探すべきじゃないんだけれど。 「……」  君が自分から出て行った。これは、君の意思。それなら、俺は探さないほうがいい。  けれど、それでも、俺は。  俺は。 「……」  俺は、君が好きなんだ。  ――え? 照葉、会社、辞める、の?  ――あぁ。そしたらさ、知美。  仕事を辞めると知美に話した時、「そしたら、ついて来てくれる?」そう、訊かなかった。言葉はそれ以上続かず止まった。  いや、諦めたんだ。無理なんだろうと勝手に決めて、終わりにした。  俺は、すぐに諦めるところがある。しがみ付いてまでやろうと思ったことがない。しがみ付くのをかっこ悪いって諦めるぺちゃんこな奴。でも――。  君のことは違ってた。 「公平!」  違うんだ。 「公平!」  君のことだけは、諦めたくない。 「公平っ!」  しがみ付くよ。あんな置き手紙一つで終わり、なんてしたくない。そんなの無視する。うちを出て行く直前に見せた君の泣きそうな顔に期待をして、しがみ付いて、離さないんだ。 「公平っ……っ」  君のことは諦めない。 「……」  置き手紙ひとつじゃまだ諦めないよ。  きっと君は、前の男のところには戻らないと思う。それなら、ビジネスホテルとか、ネットカフェとか。とにかく寝泊りできそうなところ。そう思って、まずは駅前にあるネットカフェから探した。ビジネスホテルの類はないから寝泊りするのはそういうカフェしかない。 「あの、すみません。男性が一人で来客しませんでしたか? たぶん、十分、二十分くらいの間に」 「え……男性のお客さんは……」 「黒髪の、スラッとした感じなんですけど」 「いやぁ、そういう人は」  風呂に入っていた間にこっそりと、それこそ猫のように音も立てず出て行った。君の部屋の衣服類は全て残ってたのだから、鞄も持ってないかもしれない。着の身着のまま。手紙だけ書いて、そっと、出て行ったんだ。  俺は風呂から上がって少ししてから、すぐに探し始めてるから、そんなにタイムラグはないだろ? 「あとは……」  ファミレスにもいなかった。コンビニにもいなかったと思う。夜だから駅ビルはもう閉まってるし。あとは、居酒屋、とかなんだけど。 「……もしかして」  なんでだろう。出て行った君はこの辺にいる気がしてるんだ。悲しそうな顔をしてたからかもしれない。  ――絆創膏、ありがとう。  そう、とても丁寧に君が言ったからかもしれない。  よくわからない。けれど、君がいる気がしたんだ。 「…………ぁ」  まだ、この近くにいる気がした。 「……あそこ」  俺が連れて行った、ネギが本当に零れて出てきたモツ鍋に笑った、この店に。  どうしてかな。楽しそうにしてたからかな。溢れて零れたネギに君がとても楽しそうに爆笑してたからかも。 「公平」  ね? ここに、ほら……いた。 「……なんで、照葉、さん」  なんでだろうね。なんでわかったんだろう。  でも、そんな気がしたんだよ。そして、本当にここにいた。君が店の前、ガードレールのところに腰かけて、ぽつんって寂しそうに、店の中から零れる明かりに目を細めてた。 「なんでっ、ここに俺がいるって」 「君が好きだ」  変なタイミングでの告白。でも、今言わないと君はまたすぐに逃げ出してしまいそうだから、とにかく言わないといけないと思った。  君が好きだ。大好きだって。  こんな不恰好な慌てふためいた告白に、君は、明かりが眩しくて細めていた目を見開いた。その瞳の中にはたくさん赤い提灯の明かりが灯ってる。赤とオレンジ色をした明かりが君の黒い瞳の中でゆらゆら、揺れてる。 「今……照葉、さん」 「君のことが好きだ」  ゆらゆら、揺れて、まるで夕陽が輝く水面みたい。 「う、そ……そ、な……だって」  瞬きしたらその水面が溢れて、白い頬をぽろぽろと粒になって落っこちていってしまうから慌てて手を伸ばしたんだ。 「嘘、だ……だって」  君の綺麗な瞳に留まってた雫が頬から転がり落ちてしまったらもったいないから、急いで頬に触れて、その雫を受け止めた。 「だって、照葉さん、ノンケじゃんっ、好きになるの女じゃんっ」 「うん。そうなんだけどさ」 「だから、俺なんて最初から恋愛対象アウト、じゃん」 「うん。そうだったはずなんだけど」  でもね、実はさ、本当はけっこう最初から君のことが気になってたんだ。ノンケ? っていうのか。恋愛対象が異性って場合はノンケ。なるほど。つまり、俺はそのノンケで、今まで付き合った相手は全て女性で、君は男性で同性なんだけど。 「でも、ものすごく公平のこと、好きなんだ」  たぶん、きっと。 「今までの誰より、ものすごく、本当に好きなんだ」  諦めたくなくて君を探し回ってた。ネットカフェで不審人物っぽく思われても、ファミレスの中を凝視しすぎて怪しまれても、通りすぎる人にぎょっとされても、気にならないくらい。 「好きだよ」  とてもとても。 「ちょ、あんま、そんなたくさん、好きって言わないで」 「ぁ、ごめん。そうだよね、そんな言われたって困るだけ」  君が今度は俺を捕まえた。服の袖をちょこんと、でもしっかりと握って、首を左右に何度も振っている。 「そ、じゃなくて。困ってない。ただ……嘘、みたい。嘘っていうか、なんか、あの」  困った顔をしてる。片手で俺を捕まえて、もう片方の、今日割れた皿の破片で切ってしまった指の絆創膏が痛々しい君が口元を押さえながら声を震わせる。 「俺、も、ね……照葉さんのこと……好き、です」  潤んだ瞳を伏せて、怖がりな猫みたいに視線を合わせず、ぽつりと君が呟く。俺のことを好きだって。 「うん…………え? っえぇぇっ? 今、何? なんて、公平っ」 「…………好き、って」 「は? 俺を? 君が?」  あぁ、頷いた拍子に一つ涙の粒が落っこちてしまった。慌てて手で触れたけど、もう手遅れだ。でもその手に、君の手が重なる。 「うん」 「……」 「好き、だよ」  実は、ぶっちゃけたことを自白してしまうと。君が俺を好きになってはくれないだろうかと、ずっと思ってたんだ。今まで付き合ってきた歴代の男よりもうんと優しくするから、好きになってくれいないかなぁって。 「好き、照葉さんのこと」  そう告げて、重なった君の手は細くて儚げで、とても愛しいと思った。  俺は、重ねた俺の手を、頬に触れたこの手を、君が愛しいと思ってくれたら、最高って、そう思った。

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