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第20話 すれ違い

「ね、照葉さん、あの、手、繋いでると……」 「やだね」  十月終わり、夜はグンと冷えるから、次の休みには二人で冬物を買いに行こう。うんとあったかくなれそうな、もこもこしたのがいいかもしれない。これっぽっちも、君が寒くないように。  冷え込んできた夜、とりあえずの寒さ凌ぎなんて理由をくっつけて、君の細くて儚げなその手を繋いだ。 「やだって……そんな」 「また逃げ出すかもしれない」  ちらりと横目で君を覗き見してたら、君も俺をちらちら覗き見してた。二人して、こっそりお互いの様子を伺い合って、バチッて音がしそうなほど視線がぶつかったことに笑いが零れた。  二十九歳、大の大人が、見つめ合うことにさえ不慣れなんて、何を学生の初恋みたいなことしてんだって。 「……俺、いちゃいけないと思ったんだ」  その告白に、思わず繋いだ手に力がこもると、君が指先を俺の手の中で少しだけ動かした。少しくすぐったくて、でも、俺の体温を確かめるような君の仕草が心地良い。 「今日、来たじゃん……女の人。あの人と照葉さんが話してるのを見たら、俺なんて、ここにいたら邪魔なだけじゃんって思った」  あれは全然そういうのじゃ、そう言おうとしたら、君が「似合っていたから」とポツリと静かに呟いた。  そこにいたのは普通の男女で、普通に美男美女で、お似合いで、彼女の身にまとった香りはとても上品だった。上等な香りは自分の知らない甘さで、世界が違うんだって思ったって、言いながら、君の指が繋いだ俺の手がちゃんと実在してるんだって確かめるようにずっとくすぐってる。 「それに、あの人、まだ、照葉さんのこと好きだと思うし」 「……」 「だから、出てったほうが良いと思った。あの女の人にとっても、照葉さんにとっても、俺は邪魔だろって。でも夜の営業の時に急遽俺がいなかったら困るかもしれない。それに雨降ってきてさ」  そうだった。知美が尋ねてきた時は雨が降ってなかったけれど、夜、小料理屋として開店した時にはしとしと降り始めた。 「お客さん多かったし」  まだ一緒にいたいって、ずるずる居座りたがる気持ちと。 「でも、俺いたら邪魔になるし」  もういちゃいけないんだって考えが、公平の中でぶつかって、こんがらがって、主張しあって。その困惑が手元を狂わせて、皿を四枚も割ってしまった。 「四枚も割っちゃった。……ごめんなさい」  さっき繋いだばかりの時、君の指先は冷えていた。でもようやく俺の体温が沁み込んであったまった。温かい指先。 「それでもまだ照葉さんのとこにいたいってしがみ付きたくてさ。足が動いてくれなくて。けど、絆創膏の時、照葉さん、俺に触りたくなさそうだったから」 「え?」 「気が付かれちゃったのかもって、思った。照葉さん、ノンケだから」  男の自分に好かれてイヤなのかもしれない。同居してるのもちょっと考え直したいのかもってしれない。あの女の人と寄りを戻したいのかも。 「ちょっ! あれはっ、触りたくなかったんじゃなくてっ、触りたいって思ってたから」 「え?」 「それに、前に同棲を強要してきた男に乱暴されたこともあるから。怖がらせたくなくて」 「……ぁ」  だからそっと触った。いきなり触ったら、君は飛び上がって逃げてしまうかもしれないって思ったんだ。 「ごめん。公平」  そうか、だからあの時、悲しそうな顔をしたのか。  イヤがられてるんだと、距離を置きたいんだと思った君と、触ったら怖がらせるかもと距離を離した俺。 「照葉さん、俺なんかに触りたい、とか、思ってくれた、の?」 「そりゃ、ね。それに、君はなんか、じゃないよ」  そう言ったら、君の手がきゅっと俺の手を強く掴んだ気がした。気のせいかもしれない。俺がしっかり握ってるから、手の中でほんの少し身じろいだけなのをそう感じただけなのかも。 「あの、俺……」  女の人じゃないよ? 男だからねって、尋ねるようにこっちを覗き込む瞳に頷いて。  繋いだ手に少しだけ力を込めて、そっと抱き締めた。 「こ、ここ、外、だよ……」 「わかってる。けど、この辺暗いし、人いないから大丈夫だよ」  片手で引き寄せて、もう片方の手は繋いだまま。 「あの、照葉さん」  細かった。たしかに女性とは違う華奢さだけれど。でもそんなのどうでもいいことで。君を抱き締められたってだけで、なんか、蕩けそう。 「ね、照葉さんっ」 「……」 「き、気持ち悪くない? 抱き心地」 「全然」 「その、すごくない? 違和感、みたいなの……」 「ぜーんぜん」  あんまりぎゅっと抱き締めると、痛いかな。伺うように見つめたら、パッと視線を反らしてしまう。 「逆に、公平は平気?」 「……ぇ」  尋ねるとこっちを見上げた。  切なげに俺だけを見つめて、薄く開いた唇は柔らかそうで。 「照……」  触れたくなる。  繋いだままの手が縋るようにぎゅっと手を握ってくるのが、たまらなく愛しくて。  吸い寄せられるように――。 「……っ、あ、あのっ」  息を詰めて、きゅっと、君が身を縮めた。  抱き締めてたから、君が身を竦めたのが手に取るように伝わった。 「ごめん」 「……」  まだ、そりゃ怖いだろ。うちに来た時の公平の頬は真っ赤に腫れていた。痛々しくて見てるこっちも痛くなるくらい。そのくらいのことをされたんだ。 「焦りすぎた」 「う、ううんっあのっ」 「手は……繋いだままでいい?」  これなら怖くない? そう首を傾げて尋ねても君が手を離そうとはしないから、きっと、平気なんだろう。そしたらこのまま。手を繋いだまま、秋風は寒いからうちに帰ろう。君のうちへ。俺たちのうちへ。 「ゆっくり、行こう」 「……照葉さん」 「両想いっていうことだけで、充分すぎるくらい嬉しいよ」 「……」 「だから、ゆっくりでいい」  少し肩を竦めたくなる冷たい秋風に向かって、そう告げた。手をしっかり握って。 「あ、そうそう、それとさ」 「……」 「冬物、買いに行こう。もっこもこになれて、君がこれっぽっちも寒さを感じないような。冬物を買い揃えよう」 「……」  君を探し回ってる間ずっと考えてたんだ。秋物だけしかないじゃないかって。もしかしたら、冬物がなくて、あぁ、冬にはここにいてはいけないんだと勘違いさせたのかもしれないって思ったりもしたから。できたら、春も夏も、全部の季節分服を買ってしまえばとよかったと後悔さえした。  歩きながら微笑むと、君はじっと俺を見つめてた。そして、手をしっかり握り返してくれた。 「ね? って、ごめん。ちょっと待ってて。なんか電話だ」  ポケットの中のスマホを取り出すと、永井からだった。 「もしもし、どうし、」 『お前ええええ、どこにいんだよおおおお。鍵も閉めずにさあああああ』  電話に出ると、永井が半泣きで。 『照葉おおおおおお』  いや、大泣きしながら、俺のことを呼んでいた。

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