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第23話 宝物あるある
永井の仕事は土日休み、今週は式場でフリーの時間をどうするか、歓談にするか、別のことをするのか、追加オプションを見ながら決めるはずの日だった。それと、ウエディングドレスの第二回目試着会。
だがしかし――。
「なぁ、お前らって、まだしてねぇの?」
この状況でウキウキウエディングドレス選びができるわけもなく、フリーの時間をどうするかというより、自分自身がこれから先「フリー」になってしまうんじゃないだろうか、どうするんですか? っていう問題があるわけで。
「いいだろ。ほっとけ。お前こそどうなんだ」
そんなわけで、土日が休日のこいつは終日フリータイムとなっている。帰ろうにも、美穂子さんには連絡したがらないし。
この前、半ば強制的に電話をかけさせたんだけど、電源をオフにしているらしく、繋がらなかった。それが拒否感ヒシヒシに思えたんだろう。ビビってなかなか電話をしたがらない。
「俺は……どうなるんだろう」
「あのなぁ」
しょぼくれてる場合かよ。普段あれだけデリカシーないくせに、どうしてここで急にビビるかな。人生どっか達観してるくせに、どっか大人っぽすぎる考え方のせいで可愛げなんてこれっぽっちも、一ミリだってないくせに。
「おい、カウンターに溜め息吐くな。木が湿気る」
「んもー、なんだよー、俺はお前の話をしてたんだ」
「俺は……」
「お前らこそ、なんか、他所他所しくないか? 同じうちに住んでんのに。俺はちゃんと耳塞いでてやるからっつうのに」
カウンターに突っ伏して、するなといったのに溜め息を、やたらと重いのを一つそこに吐き出した。
今、公平は買い出しに行っている。だから、永井と二人きり。重たい、鬱陶しい。そして……はよ、帰れ。
「あのなぁ、お前ね」
「ビビってんのか? 男同士っつうのに」
「は? そんなんじゃ」
永井がかったるそうに身体を起こし、グンと両手を天井に向けて伸ばした。縮こまってた気持ちごと少しばかり背伸びするように。
「好き同士ならセックスするモンだろうが。チューして、裸ん坊になって、えっちするもんだろうが」
「お前なぁ」
そりゃ、そうすんなりことが運べばいいと思うさ。
「…………色々、あんだよ」
「……」
彼はあまり幸せそうな顔をしてなかったから。俺と出会った時、もっと鋭い顔をしていた。
「……」
野良猫がひとりぼっちで生きていくために身につけた強さに似た、少し怖い顔をしてたんだ。そのくらい、彼の日常はすさんでたし、痛くて、悲しくて、苦しかったんだと思う。
「……すげぇな」
「? 何が」
「照葉のそんな顔、初めて見たなーって思って」
「……」
「腐れ縁だからな、お前の歴代の彼女知ってっけどさ。お前がそんな露骨にイライラしたり、しょぼくれたり、困ったり、難しい顔してんの、初めて見た。まぁ、そりゃ、えっちできなきゃイライラするだろうけどよ」
しょぼくれたり。
「けど、結婚考えた彼女と別れた時のお前とまるで別人なんだもんよ。結婚だぞ? 結婚。そんで今は、ただえっちに悩んでるだけ」
それなのに、今のほうがよっぽどあれこれ考えてる。
何よりも、公平のことを考えてる。
「だから、まぁ、交際したての中坊みたいに見えんのかもな」
好きな子のことばかり。それはまるで初恋のように、君と目が合うだけで恋しさが増して、君と話しただけで一日有頂天で、君と――。
付き合った女性は何人かいる。
学生、社会人、それぞれにいた。適度な距離感を保ちながら。
「けど、あんま大事にしすぎてると、ダメになることあるかんな」
初めて付き合った子は中学の同級生だった。
心臓が口から飛び出そうなほど緊張しながら告白したんだ。彼女は笑って頷いてくれた。一緒に帰って、映画館デートとかして。楽しくて、嬉しくて。でも、別れてしまった。理由は色々あったんだろうけれど、でもずっと一緒にいたかったけれど、できなかった。
次に付き合った子は同じ中学の三年生。その子とは受験をきっかけにして別れた。
その次は高校生。部活のマネージャーだった一つ上の先輩だった。別れたのは、俺からだった。時間が合わなくて、夜に連絡を取り合うのが少し面倒だったから。その次は一つ下の後輩。好きになって付き合って別れて、それを繰り返していくうちに、どんどん自分の中で恋が劣化していくような、そんな気がしていた。
「宝物みたいにするのもいいけど、物じゃないからよ」
でもこの恋はなんだか違うんだ。何よりも君のことばかりを考えてる。
「…………じゃあ、美穂子さんに連絡して謝って帰れよ」
「……やだ」
「は? おまっ」
「やだやだやだー!」
「ただいまぁ」
「あ、永井さん、あの」
「聞いてくれよー! こーへー君、あいつがさぁ」
「んなっ! おい! 永井、公平に馴れ馴れしいぞ! おいっ待てっ!」
あろうことか俺が宝物みたいに大事にしている公平の肩にしっかりしがみ付いて、その背後に隠れた永井を怒鳴ると、可愛くなんてこれっぽっちもない悲鳴を上げながら、上の、俺の部屋へと戻っていった。
「あは。何の話してたの? めちゃくちゃビビってたけど、永井さん」
君の第一印象は痩せこけた野良猫だったんだ。ガリガリに細かった。
そんな君が今はすごく可愛い黒猫みたいにふわふわでさ、柔らかい声で俺の名前を呼んでくれるから。
「宝物あるある」
大事にしたいって思っちゃうだろ?
「何それ、どんなの?」
「んー、ぁ、雨だ」
まるで助け舟を出すように、会話を切り替えるタイミングを雨粒たちが作ってくれた。サーッと降り出した雨はけっこう勢いがすごくて、急に雷も鳴り始めるものだから。
「公平、永井に言って洗濯物入れてもらって。俺、植木鉢をしまってくるから」
「あ、うっ、うんっ」
ギリギリセーフだった。
「うわ、すごい雨だ」
あと数分でも遅かったら、君がびしょ濡れになってしまうところだった。
「……よかった」
宝物だからさ。君のこと。
少しの雨粒にも濡らしたくないし、少しだって寒くなって欲しくないし、寂しいのも悲しいのも、苦しいのもイヤなんだ。
どんより雨雲に追いつかれる前にうちの中へと逃げ切れた、俺の愛しい君にホッと胸を撫で下ろしながら、ねずみ色をした空を見上げた。
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