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第24話 君じゃなくちゃ

 ダメってわかってる。これは、アウトだって思ってる。  やばいって、思うよ。  君の、服を、オカズにしちゃうなんて、さ。 「っ……」  でも目の前に君の服があって、これを君が着てたって思うとたまらない。この服に触れた君の肌を思うと、どうしても身体が熱くなって、もうどうにもならないんだ。  怖がらせたなくないよ。けど、触れたい。もっとちゃんと抱き締めたい。君のことが欲しくて仕方がない。 「っ」  こんなの知られたら軽蔑される。そうわかってるのに、止められない。  ――軽蔑なんて、しないよ。だって。 「っ……っ」  甘い声でそう耳元に囁いて、細くしなやかな身体を君がしならせた。いつの間に俺の部屋に入ってきたんだ? そう驚いている俺の懐にするりと滑り込み、唇を舐めて目を伏せる。潤んだ瞳は睫毛の先まで濡れてて、あっちも濡れて、それで、君の白い指先が甘い甘い蕩けた声を聞かせてくれるように、自身のつるりとした先端を撫でる。いやらしく愛らしいピンク色をした、それを。そして息を呑む俺に艶やかに微笑んで、白く柔らかそうな身体を自分から開いて、指を。  ――あっ、照葉、さぁぁン。 「!」  耳にとてもしっとり残る君の甘い、声。  ――あ、いやァァンっ。 「……っ!」  ………………マジか。 「あ……ゆ、め?」  …………嘘、だろ。 「……はぁぁぁぁぁぁ」  おもむろに布団の中を覗き込むようにしてチェックした自分の股間目掛けて、重苦しく、そして痛々しいほどの溜め息を吐き捨てる朝。 「あー……」  マジか。これは、ないだろう。まさかの、だろう。二十九歳、若気の至りとは言えないお年頃にしでかした、朝の失態に溜め息が止まらない。 「はぁぁぁ」  いや、本当に、止まらない。  ジャパジャパと楽しげな水音を立てながら、斜めドラムの中を俺のパンツが弾んで踊って回って踊って。公平にこの痴態を知られないようにと、カモフラージュ兼ねて、道連れに洗濯機へと放り込んだマットの類も弾んで踊って、回って踊る。 「…………」  いや、どうなんだ。この歳で夢精って。 「……」  それも、内容が内容だと思わないか? 公平の着ていた服でオナニーしてるって、どうなんだ。しかも、まさかの公平までも特別出演させちゃったし。あらぬ姿っていうか、一糸まとわぬ艶姿で、俺の服で口元と鼻を隠しながら、上目遣いに俺を呼んで、あんなことこんなこと、できたらいいなって思うそんなことを。 「はぁぁぁー、ぁ……」  わかってる。原因は、ある。  あれだ。永井の家事能力のあれだ。夜、風呂から上がって、さぁ着替えようと思って手に取った黒いTシャツ。でも広げてもあからさまに小さい。それにまだ新品ってわかる、色がちっとも褪せてない鮮やかな黒。  はて? これは? そう思ったのとほぼ同じタイミング。  いきなり開いた洗面所の扉、そして飛び込んできたのは小さな悲鳴と真っ赤になった君と、君が着ている俺の少し色褪せた黒いTシャツ。量販店で激安五百円で買ったパジャマ代わりの無地のただのTシャツ。そして、俺の手には本物主が登場して連れ戻しに来てくれた、一回りは小さい買ったばかりの君の黒いTシャツ。全く同じ量販店で買ったんだ。  ――ご、ごめん! あの、まだ出てきてないと思って。Tシャツ、俺のと照葉さんのが間違ってたからっ。  真っ赤になりながら、慌てる君から急いで目を逸らした。俺の隠しているつもりの欲望に勝てない気がしたから、ぎゅっと目を瞑って。  小さい声で「ごめん」って呟く君の着替えを見たくて、いやいや、そういうの見ちゃダメだろ。って、俺は恋人なんだから見てもいいだろう。イヤ見るならもっと正々堂々と。っていうか、正々堂々ってなんだよ。  と、ここで目を開いたところで一秒にも満たない、瞬き一つできるかどうか、っていう短い時間。チラッと見てしまった君の細い腰。  そうそう、それが俺の悶々として煮詰まり始めたあらぬ欲望に拍車をかけたわけで。拍車のかかった欲望は抑えようとしているつもりが、我慢できず、今回こうして暴発した。  本当に、まさに暴発、したんだ。 「あー! 帰って来た! な、なぁ、こーへー君、あの般若みたいにおっかない顔したまんま接客業ってどうなんだろうねぇ」  ギリギリっていう擬音が剣のように永井に刺さりそうなほど、思いきり睨んでいた。そのところに、外の掃除を終えた公平が帰ってきて、永井が飛びついて助けを求めている。 「あの……永井さん、ちょ」  じろりと睨みつけたくもなるだろ。まず公平に縋るな。くっつくな。彼は俺の……。 「あの、永井さん」 「?」  肩に掴まる永井の手を掴んでそっと離す。そして屈んでいた永井と一緒にすぐそこ、店の出入り口のところにしゃがみこんだ。これから一緒に手遊びでもするみたいに両手で両手をそれぞれ掴んで。 「あの……美穂子さんだと思う女性が外にいます」 「……え?」 「この前もいた。俺が買い出しから戻ってきた時、ちょうど店からは見えにくい街路樹のとこに隠れるようにして立ってました」 「えっ!」  立ち上がろうとする永井の手を離さず、ぐっと掴んで、急激に上昇した永井のテンションを沈めるように下へと引っ張る。  そして、それに釣られるように、永井が苦笑いを零した。俺なんかじゃ、そりゃマリッジブルーにもなるんだろうなぁ。つか、別れ話だったりしてって。そう半ば諦めたように、言うんだ。 「あ、あのっ、それでっ、一つだけ、俺から永井さんに言いたいことがあるんです」  けれども、公平は首を横に振った。ブンブンと黒髪を左右に振って見せた。 「あの……美穂子さんは怖くなったんだと思うんです」 「……」 「本当に自分でこの人はいいのかなって」 「……」 「自分でいいのかなって」 「……」  怖くなって足が止まった。待って待って、ねぇこんな自分とでこの人は幸せになれるのかな。ちゃんとずっと愛されるのかなって。 「なんで、あいつ、そんな」 「目が合ったら、真っ赤になって俯いちゃったから」 「……」  そしてしきりに髪を直してた。身を屈めるように小さくしながら。自分に自身がないってわかっちゃうんだと君は笑って。 「俺もそうだから」  そう言うんだ。 「だから、俺みたいなのに言われたくないかもだけど、でも、その……」 「馬鹿じゃねぇの、あいつっ」 「や、あのって、永井さんっ」  怒ったように呟く永井に公平が慌てて追いかけようとした。そんなふうに怒らないでって。そう君は言おうとしたんだろ? 「ながっ、……」 「大丈夫。あいつの口が悪くなるのって、めちゃくちゃ信頼してる奴にだけだから」  昔っからそうだった。どこか達観してて、冷静沈着、おとなしそうに見せつつ、軽やかなスキップをしながら世間の荒波を鼻歌混じりで乗り越えていく。自分の身近じゃない人間からの評価は上々。けれど近しい人間からは悪口混じりな感じ。デリカシーなくて、口が悪くて、マイペースでさ、って。 「そ……なんだ」  だから、君にも最初はおおらかに微笑んでただろ? 「そっか……」 「それで? 公平」 「?」  問題はさ、こっちだ。 「現在形だったんだけど?」 「え?」  きょとんとした顔。けれど君がつい二、三分前に言ったんだ。 「俺もそうだからって」  そうだったから、じゃなくて、そうだからって、言ったんだ。 「……」 「本当に自分でこの人はいいのかなって。自分でいいのかなって」 「……」  君の手をしっかりと逃げられてしまわないよう、離れたいと言われても離さないと、しっかり手を繋いだ。 「公平で、いいに決ってます」 「……」 「いや、ちょっと違うな」  離さないから、怖がらないで。びっくりして、手を引こうとしないで。 「君がいい」 「……」 「君じゃなくちゃ、イヤなんだ」 「……っ」 「公平」  絶対に、離さないから。

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