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第25話 フルーツキス

 もう閉店。ちなみに明日は月曜で、世間一般の皆様はお仕事ですが、うちはお休みなので。 「あ、あの、照葉、さん」  だから、早寝も早起きも、気にしなくていい。 「あの……」  久しぶりに永井のいなくなった我が家はとても静かだった。君の戸惑う小さな、小さな声だってちゃんと聞き逃さないよ。  だから、今しかない。洒落っ気ゼロのこの居間で、俺たちは立ったまま、手を繋いだまま、今訊かないと、君のことを逃がしてしまう気がするんだ。  俺は、君がいいと言った。君じゃなくちゃイヤだって言った。  君は?  君は、どう思ってる? 「照葉さんは、さ……俺で、いいの?」 「もちろん」  そんなの即答に決ってる。なのに、すぐに答える俺に君は驚いた顔をした。ねぇ、わかってるの? 俺だよ? とでも言いたそうに眉をしかめてしまう。 「…………や、やっぱ、俺なんか、ダメだって」 「なぜ?」 「な、なぜって、そんなのっ」  力なら、きっと強いよ。そう簡単には振りほどけないと思う。それに俺は君を離すつもりはない。 「そんなの、だって、俺」 「うん?」 「っ、俺、は……汚いから」  小さな悲しい声が呟いた。胸が軋んでしまいそうなほど悲しい言葉を君が呟く。 「照葉さんは、俺なんかにはもったいないよ、やっぱ」 「……」 「俺、ホント、貴方になんて触っちゃいけないし、触ったら、その、ちょ、だ、ダメだって、ば。ホント、汚し、ちゃうっ」  触れたら汚してしまうっていうから、抱き締めた。じたばた暴れるのなんてかまわず、強く、腕で捕まえた。  なんてことを君は言うんだ。 「ダメ、離し、って」  離せって言われる度に強く抱き締めると、慌てて身を捩ってもっと逃げようとする。けど緩めるつもりなんてない。痛いくらい、君が息できないくらいに強く。 「ダ、メ……」 「もしかして、俺が触れる度に身を硬くしてたのって、そんなことを考えて?」  少しでも触れると、いつも肩を竦めてた。おっかなびっくり、まるで人に抱っこされたことのない猫が居心地悪そうに戸惑うように。 「そ、だよ。だって、俺、本当に、汚いから。今までのこととか全部知ったら、多分、萎えるレベル。マジで。寝泊りする場所確保のために男と寝たことだってある。その場限りのなんてザラだったりするし。それに、ホント……だから、ダメなんだ。不釣合いだし、汚したくない。照葉さんのこと。俺みたいなの、かまってくれたのすごく嬉しかったけど」  言いながら、ずっと逃げたそうに腕に、肩に力を入れてるのがわかる。少しでも腕を緩めたら、君は大慌てで逃げ出す気なんだろう? 「お願い、だから、照葉さんっ」 「君が……」  でも、俺がぽつりと呼んだだけで、耳を澄ましてくれる。ほんの一瞬だけど逃げようと力む腕を止めて静かにしてくれる。 「君が怖がってるんだと、思ってた」  こうやって息を呑んで聞いてくれるのなら、俺は君を離すつもりはないんだ。 「前の、その男にひどいことをされて、恋愛とか……セックス、とかが怖いんだと。だから、触れないようにしてた。ゆっくり、君が怖くなくなるまで待つつもりだったんだ」 「っ、だ、だから、俺はそんなふうに大事にしてもらうようなのじゃないんだって。そんなふうにさ」 「君は、俺の宝物だ」 「違うってば、そんなたいそうな」 「それと、俺の好きな人」 「っ」 「ねぇ……」  少しだけ腕を緩めてみる。もちろん、逃がすつもりなんてないよ。でも、君の瞳を見て確かめたいんだ。お邪魔虫のいなくなった我が家なら、今、君の声に混じるものが嫌悪なのか、恐怖なのか、それともおっかなびっくりしつつも持ってる期待なのかわかると思う。声を聞いて、君の瞳を見て確かめたい。 「公平は、俺のこと、好き?」 「………………好、き、だよ」  綺麗な黒い瞳が濡れてた。艶やかに、そして、優しく濡れて、とても綺麗だった。 「大好き、だよ」 「なら、よかった」  ようやく、君にキスできる。  そう呟きながら、唇を重ねた。 「……っ」  触れるだけの柔らかいキス。 「なっ、な、今、俺言ったじゃんっ、汚いんだって、俺のこんな口なんて、俺、こんなのっ」 「ヤバイね……」 「……」  ただ触れただけなのにね。少しびっくりした。そう笑うと、君が難しい顔をして、その震える柔らかい唇を手の甲で隠してしまった。  でも本当にびっくりしたんだ。君としたキスはまるで、果実のようだったから。 「ン、ァっ、照葉っ、さっ」 「公平……」 「んっ、ン」  またキス、させて。  この手をどかして、その唇を開いて。 「ンっ」  手の甲で唇を隠すから、その手首を掴んで引き剥がすとそのまま深く口付けた。舌を割り込ませて、角度を変えて、柔らかくて熱く濡れた口の中をまさぐっていく。  君の口の中は暴くと瑞々しくて、甘くて、美味しいんだ。本当に果実みたい。 「ン、ァっ、照葉っさんっ、ン、んんっ」  しゃぶって、舌で中掻き混ぜて、飲んで、食んで、また舌を差し込んで掻き混ぜる。果汁が溢れる果物に齧りついてるみたいなキス。 「照葉、さんっ、待っ……って」 「怖かった?」  貪るように夢中になりすぎた。がっついて、ほら、君が肩で息をするくらいに激しくしすぎた。 「怖、くない……けど、立ってられない」  さっきまで逃げ出したいと力んでいた腕が必死に掴まってくれる。 「やっぱ、怖い」  ぞくりと、した。 「こんなキス、知らないっ」  そう目に涙を溜めた君の困惑に。 「ど、しよ……好き、照葉、さんがっ」 「うん、俺も、君が好きだよ」  うん。どうしようか。実はさ、俺は嘘をついてしまったんだ。 「照葉、さんっ」  ゆっくり、君が怖くなくなるまで待つつもりだったんだなんて、今さっき言ってたくせに。怖いと目を潤ませる君にまた齧りつくようにキスがしたくて仕方がない。待て、もできない駄犬みたいに、君とまたキスがしたいと、困ってしまうほど、衝動が抑えられそうにないんだ。

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