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第34話 ハロウィンはメルヘンに

「ハロウィンのイベントとか、初めてした」  ワインに香りのついたドライフルーツ、それに少しのスパイス、あと、角砂糖を入れて、デザートワインのホットを作った。  夕飯の後、少し飲もうよって、自室に誘って、  甘くてあったかいワインはきっと今日一日、お祭りで疲れただろう君にはちょうどいいと思ったんだ。  温めてはあるけれど、角砂糖が溶けるようにと一瞬火にかけただけだから、アルコールはそんなに飛んでない。  しっかりワインなのに甘いからなのか、今日が楽しくてはしゃいだ気分がそうさせるのか、君は少しだけ飲むピッチが早かった。  多分、ちょっと酔っ払ってる。  コテンと、頭を俺の肩に預けて、ふわりとした口調で君が自分の今までを話し始めた。 「俺の母さんはいつもイライラしててさ。あんま笑った顔って見たことない。父親は……いたのは覚えてるけど、顔は覚えてない」 「……」 「漫画とか小説みたいに、薄暗いうちだった」  不幸が漂って空気を淀ませるような、そんなうち。  嫌気がして家を飛び出すのなんて、時間の問題だった。高校は中退。  その後は友だちとかの家を転々としてた。  うちには、帰りたくなかった、そうふわりふわりと君が語る。 「ゲイだって自覚したのは割りと早かったんだ」 「……」 「でも、ゲイだってことを気にしたりはしなかった」  そんなことどうでもいいほど、毎日が荒れて、ただれて、すさんでたから。 「ハロウィンのイベントもクリスマスも、バレンタインも、楽しかったぁって今日みたいに思ったことない」 「……」 「ふーん、だから? ……そんな感じくらい」  肩に寄りかかる君を抱きかかえるように腕を回して、一日ハンチング帽を被ってたせいか、やわらかさが増したおとなしい黒髪をゆっくり指先ですいていた。 「楽しいって思うこともあったよ? バイト先で仲良くなったネコ、っていってもわかんないか。同じゲイの子とさ、遊んだりとか、カラオケしたり、ご飯一緒に食べたり」 「……」 「でも、一瞬だけだからさ……」  痛いことだったり、寂しいことだったり、やりたくないことを強制させられる苦しさだったりが待ち受けている。 「ずっと楽しいとか、ありえなかった」  想像しながら、うちへ、毎日三時に現れた頃の君を思い出していた。君は三時にしゃべって、笑って、そこからどんな気持ちでその場所へ帰っていったんだろう。 「今日は、楽しかった?」 「うん……楽しかった」  君が頭を摺り寄せる。 「楽しすぎて、ちょっと怖いくらい」  そんなの怖いことじゃないけれど。怖くなってしまうほど、君の今まではこれっぽっちも楽しくなかったのかと思うと、言葉が出てこない。 「こんなに楽しいのが、ずっとなんて……って」  出てこないよ。言葉なんて。 「公平!」  いきなり大きな声で呼んだら、酔っ払ってとろんとしていた君が目を丸くした。 「ハロウィンやろう」 「? 照葉さん?」 「イベントのじゃなくて、俺たちだけでさ」 「……」  怖くなんてない。 「仮装、待ってて」  だから、大丈夫。 「んーと……たしか、ばーちゃんのタンスの……」  引き出しを開けると防虫剤のメルヘンな花の香りがした。ばーちゃんは着物が好きでけっこうあったんだけど。何かイベントやら祭りやらがあればそれを数日前から干してたっけ。鼻に残る少しきつい防虫剤の匂いは得意でなかったけれど、着物が干してあると何かワクワクすることがあるんだってわかるから、ちょっとテンション上がったんだ。 「あった、あった」  そんなばーちゃんの着物に混ざって、去年買った安い男物の浴衣を取り出した。ハロウィンのさ、仮装で着た着流し。侍コスプレって言っていいものかどうかレベルでただ浴衣を着ただけだったけど、季節が違うからけっこう喜ばれたっけ。腰に玩具の刀を下げて。 「よしっ」  もう、ないよ。 「あ、あと帯、帯」  もう、君に痛いことも、寂しいことも、苦しいこともない。 「そんで……これが……」  君のこれからも毎日は楽しいことが多いし、帰ってくるうちはここで、ただいまって笑って言える場所にしよう。 「……こんな感じ、かな」  一緒に、二人でさ――。 「じゃじゃーん!」 「!」  俺の部屋でぽつんと待ちぼうけになっていた秘書が、突然飛び込んできた偽侍に飛び上がって驚いていた。  目をぱちくり。赤い唇はあんぐり開いたまま。 「見たいって言ってただろ? って、ただ、本当に着物を着ただけなんだ。去年はさ、少し髪が短かったから、ちょっとアニメキャラに似てたんだ。ぁ、顔は全然違うって子ども達に言われちゃったけど」  もっとカッコよくて凛々しい感じだから、ふにゃふにゃに笑う俺なんかじゃイメージ総崩れだったみたいだよ。子どもたちからは格好だけ褒められたんだ。 「その時の刀は、仮装行列でちょうど転んじゃった子がいて」  ポリエステルのツルツルとした生地でママが作ってくれたのかもしれない、ズボンが、転んだ拍子に膝のところが破けちゃって、大泣きしてたから。 「あげたんだ。刀、もう使わないし。振ると音が出るし光るし、最先端だったか……ら……」  抱きつかれてしまうと、メルヘンな花の香りがすごくない? 干してないからさ、匂いしまくり。タンスから引っ張り出した感がすごいよね。 「……気に入ってくれた?」 「うん」 「……気に入ってくれたでござるか?」 「っぷ……何それ」 「侍口調」  笑って、君がうっとりと目を閉じながら、俺の胸に顔を埋める。長い睫毛が濡れているように見えるけれど。 「泣いた?」 「……うん、少しだけ」 「泣いたでござるか?」 「あは、もう泣いてない」 「……そりゃそうだ」  抱きついてくれる君をこちらからも抱き締めて、背中を丸めて顔を近づけた。 「これからは楽しいがずっと続くんだから」  ぎゅって、二人の腕の間にメルヘンな花の匂いが閉じ込められたみたいに強く甘く香って、君が笑いながら、俺にキスをくれた。

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